プロローグ

「では、私を後ろから斬りなさい」
「な………」
 「姉」の言葉に絶句する「弟」の声が、一面岩剥き出しの空間に響きわたった。
 上下左右あらゆる方向が剥き出しの岩肌に包まれた空間、いわゆる洞窟の中に二人。
 赤い裳と上衣を身に纏った女性と、上下を白の上衣と袴で整えた若者。
 後世人間たちが「古墳時代」と呼ぶ人間に近い服装をした男女二人は姉弟だった。
 「弟」は洞窟の中に置かれた寝台に腰掛け、「姉」は「弟」と少し離れた位置で、向かい合うように立っている。
 「私の背中を斬れ」と命じられて唖然とする「弟」にむけて、「姉」は静かに続ける。
「私が傷つき倒れている間なら、結界を突破できるはずです。私が倒れたことによる日の翳りも、逃走の助けになるでしょう。あなたはそれを狙い、背を見せた私に襲い掛かり、斬った。表向きはそうなります」
「姉貴……」
 なお呆然とする「弟」は薄汚れている。身につけた上衣も袴も、どこといわず全体が血と泥でまみれており、顔などそこらじゅうにもはっきりと傷や血の汚れがある。一方向かい合う「姉」には薄汚れた部分や怪我など全くない。ここからも、二人が同じ立場でこの洞窟にいるのではないとわかる。
「私は悪い姉ですね。弟の我がままをたしなめもせず、逆に手を貸すのですから。支配者として失格です」
 その「姉」が、ため息をついて力なく笑う。太陽を司る天界最高の貴神として全てを慈しむ目ではなく、家族を慈しむ目で「弟」を見つめたあと、「姉」は背を向ける。
「私が倒れたことはすぐに知れ、皆何とか回復させようとするでしょう。ですから外に出たらこの洞窟を壊し、入り口を塞ぐのです。それでもう少し時間を稼げるでしょう。その間に包囲を突破して彼女を助け出し、行方をくらませるのですよ。いいですね?」
「姉貴………」
「急ぎなさい、時間はないのでしょう?」
 なお唖然とする「弟」に、背を向けたまま、「姉」はそれだけを言う。
 「弟」が言う間にも「姉」は力を抑え、自分の背中を天界の全てを背負う偉大な支配者のそれから、ただの女性のそれに変えていく。
「さあ、はやく」
「ありがとう、姉貴」
 「弟」が念じると、右手に一本の剣が生まれた。それを構えなおし、無防備な背にむかって駆け寄り、振り下ろす。背中をかすめるように。
「あ……」
 微かなうめきと共に伏せ倒れる「姉」に、加害者である「弟」は駆け寄ろうとする。
「……私は大丈夫です。急ぎなさい………」
 己の身を顧みず、「姉」は促す。
「済まない。姉貴」 
 それだけ言うと、「弟」は自分が負傷させた「姉」の介抱もせずに走り出す。
 岩ばかりの道を少しゆくと、光る壁が「弟」の道を遮る。今奥で倒れている「姉」と、もう一人の「兄」が力を合わせて作り出した結界だ。
 結界と己を同化させられる「兄」と「姉」以外の全てを、この壁は拒む。「弟」は今まで何度となくこの壁を越えようとしては失敗し、その都度全身を血と泥で汚してきた。
 その壁に、手を伸ばす。
「……くっ」
 激しい痺れが、「弟」の身体を走る。しかし、痺れは以前までに比べて明らかに弱い。
 だが、それでも無理矢理足を進めて、壁に身体をのめりこませつきぬけようとする。
「うおおおおおおおおっ!!!!!」
 弾け飛ぶ音の後、「弟」は光る壁を引き千切ることに見事成功した。
「っく…は……」
 消耗が「弟」を襲う。「姉」が倒れても、もう一人の結界作成者「兄」の力は生きている。そして、「兄」は月と夜を司り、自分や「姉」と共に天界を支配するほどの存在だ。その「兄」が作った結界を無理に破ろうとすれば、「弟」もただでは済むはずがない。
「……時間はねえんだ。この程度でくたばってんじゃねえ!!!!!」
 自分を叱咤するために絶叫して、身体の力を振り絞って洞窟から出る。すると「姉」が倒れた効果がすでに出始めていた。外は薄暗い。
 今彼は岩山の中腹にいるはずなのだが、それも分からないほどの暗さだ。
「砕けろ!!!」
 振りかえった「弟」が右掌を突き出すと、水の弾丸が打ち出されて洞窟の天井辺りに直撃した。それにより岩が崩れ落ちて、洞窟の中の「姉」を外部と隔絶させる。倒れた「姉」の力が、即席落盤で更に遮断され、闇が一層深まる。
「待ってろ、今行くぞ!!!!」
 もう一度、「弟」は叫んだ。決して失ってはならないものを守りぬくために。

 ――はるか古代に起きたこの事件を、古文書は後世の人間にこう語る。
『海を司る「弟」の乱暴狼藉に腹を立てた太陽を司る「姉」は、洞窟の中にたてこもってしまった。そのため世界は暗闇にとざされ大混乱に陥る。困り果てた神々は洞窟の前で大宴会を催し、その歓声につられて「姉」が出てきた所を一気に外へ引き出し混乱を収束させる。その乱暴狼藉と混乱の責任をとらされて、「弟」は神の世界から追放された』と。

 1

 静かに雨の振る夜闇、雲という屋根に覆われた高層ビルの屋上で、老人と少女が向かい合っていた。
「さあ、どうした。撃て、撃つがいい。お前はそのために多くを犠牲にしてのぼりつめてきたのだろう?」
 丸腰の男が、拳銃を構えた少女を圧倒している。背広姿の、もう確実に七十歳を超えているだろう老人が、両腕を広げた姿勢のまま、拳銃を構えた少女との距離をつめる。
「来ないで!!!!!」
 少女は絶叫する。拳銃を向けたまま、無意識にあとずさる。
「何を躊躇う。お前の狙いは私の命だろう?」
 老人の生み出す威圧感と少女の震えが、こうした撮影など慣れ切っているはずのスタッフ達どころか、非生物の撮影器具まで名状しがたい緊張感に包み込んでいるように思える。
「さあ、どうした。撃て、撃つんだ!!」
「いやぁっ!!!!!!!」
 こもった銃声がして、一度老人は頭をのけぞらせた後、身体を前に倒した。
 長い、長い、沈黙。ただ、雨の音。
「……なんだ今の音は、え、これは?」
 屋上に上がってきた若者が、倒れている老人と、拳銃片手の少女を見て言葉を失う。
「あ……え……?」
「警察を……呼んできて、私が殺したの……」
 虚ろな声で、少女は告げる。
「え……あ……大変だぁっ!!!!」
 若者が警察を呼びにいったことを確認して、少女も糸が切れた人形のように膝をつく。
「終わっちゃった……これから私……どうすればいいのかな……」
 少女の言葉に答えるものはなく、いつまでも雨は降り続けていた。
「カーット。二人とも、お疲れ様!!!!!」
 一人がその声と同時に、周囲から一気に拍手と歓声が沸き起こり、離れた二人にタオルを持って駆け寄っていく。さっき拳銃に額を撃ちぬかれた老人も、何事もなかったかのように立ちあがってタオルを受け取った。そして二人は階下に続く小屋に消えていく。雨でずぶ濡れのため、下で着替えるのだろう。
「よし、片付けだ!!!」
 一人がそう言うと、皆がそれに合わせて周辺にあったライトや集音マイクなどの機材を手際良く片付けにかかる。
「いやあ、凄かったね。鹿島」
 傍らで誰かが自分の名前を呼んだ。
「……鹿島、終わったよ」
 もう一度声がして、ようやく「鹿島」という名前が自分のものだと思い出した。
「……ん、ああ、凄かったな」
 思い出したように息を吐き出しつつ返事。
 そう、自分の名前は高原鹿島。幼馴染の一人と、もう一人の幼馴染が出演しているこのロケを見ていた。まだ半ば上の空のまま、傍らで同じようにロケを見ていた友人に返事をしつつ、鹿島はあまりに初歩的なことを、頭の中で繰り返す。先のクライマックスは、そんなことすら忘れさせるほどの緊張感だった。
「じゃあ、いこうか」
「ああ」
 促されて、鹿島も共に屋上を離れる。
 並んで歩くのは、高校の制服である薄緑色のブレザーと同じ色のズボン姿で、身長は一九五p以上、腰まで届きそうなほど長い黒髪を腰で束ねた天原八坂。鹿島と共に一緒にこのロケを見学に来た幼馴染だ。ちなみに鹿島もサイズは違うが形は同じ服装だ。
 階段を下りて廊下を少し進むと、本来は更衣室らしい部屋のドアに、「櫛田稲穂様 控え室」と張り紙されたドアがすぐ見える。
 その傍らでしばらく待つ。
 張り紙に書かれた名前の主「櫛田稲穂」は、今さっきまで「永野弥生」という名前の復讐者を演じ、屋上で中年男性を射殺した。その少女の本名兼芸名が「櫛田稲穂」で、鹿島達にとっては幼馴染でもあった。
 屋上で撮影されていたのは、来年夏に公開予定の映画の撮影も含め、最近仕事が重なりかなり稲穂は多忙だった。稲穂は鹿島達と同じ学校に通っているのだが、学校でここ数日姿を見かけていない。
 そんな忙しさも、今日のロケで区切りがつく。そこで、三人でどこかへ食事にでも行かないか。稲穂にそう誘われて、二人は撮影現場であるこのビルにやってきていた。
「僕も稲穂ちゃんが演技をするのを直接見るのははじめてだけど、生は違うね」
「一度これを見ると、録画して編集されたテレビの番組は見れないかもな。それはそうとして八坂、時間の方は大丈夫か?」
「あ、そういえばそうだね。大分遅れたし、大丈夫かなぁ」
 本来撮影終了時刻は夜七時前後。だが、今鹿島の腕時計のさす時間は十時三〇分。
 言いながら、八坂は携帯電話をポケットから取り出してボタンを押し、耳に当てる。
「……もしもし今日予約させて頂いた天原という……どうも電波の入りが悪いね。外にいってくるよ」
 八坂はそのまま今来た道を逆に進んで、先の屋上へ向かい、鹿島が一人残る。
「お疲れ様でした。失礼します」
 八坂と入れ替わりで元気のいい声がし、男女無数の声がそれに応じたあと、扉が開いた。
「お待たせ、鹿島君。あれ、八坂君は?」
 開け放たれた扉から出て来た直後、その少女は自分に向かって言う。
 整った顔立ちも、体格も、栗色のショートボブヘアーも、その声も、さっきまで屋上で背広上下を身にまとい、拳銃片手に復讐を果たした少女と全く同じだが、違う。
 上着は今鹿島と同じブレザーで、ズボンのかわりにブレザーと同色のフレアースカートをはいているこの少女が、櫛田稲穂。現在CMも含めればテレビに出ていない日の方が少ないという超人気アイドルには、鹿島達の幼馴染という側面がある。
「さっき携帯をかけに屋上にいったよ。少し待てばすぐ戻ってくるだろ」
「あ、そうなんだ」
 それだけ言うと、稲穂は手近の壁にもたれかかり、鹿島も道ゆく人の邪魔にならないよう、稲穂の傍らで壁にもたれる。稲穂と鹿島は、今30センチも離れていない。手を伸ばせば、すぐ届く場所にいる。
 触れずとも分かる稲穂の温もりを感じながら、同時にこれが自分の限界だろうと思う。
 幼馴染ゆえに、そばにいることが許される。
「さっきの演技、どうだった?」
「凄かったよ。気付いたら圧倒されてた」
 こうして、何気なく口をきけることだけで十分幸福だ。そう思わなければならない。
「ありがとう。けど、私もまだまだだね。もっと勉強して、練習しなくっちゃ」
「頑張れよ」
「うん。頑張る」
 そんなやり取りをする二人の前に、背広姿の男がやってきた。
「こんなところにいたのか、櫛田君。ホテルの予約はしてある。クランクアップを祝おうじゃないか」
 ぶしつけにそういうと、その男は稲穂の右腕を掴もうとする。ふちのない眼鏡を筆頭に、いかにも「やり手」を思わせる背広の男だ。
「誰だ、この人?」
「この映画の大手スポンサーの広報担当重役で、松永さんっていう人。一度撮影を見に来てからは、私を気に入ったみたいで色々してくれるんだけど……」
「さあ、いこう」
 小声で稲穂が説明する間にも、松永は稲穂の腕を掴んで、そのまま連れていこうとする。
「その話はお断りしたはずです。またの日にお願いします」
「そう邪険にしなくてもいいだろう。これは君にとっても悪くない話だと思うがね」
「……けど、今日はみんなで食事に行く約束をしてるんです」
「いってこいよ。俺達は次でいいからさ」
「でも、私……」
 明らかに、稲穂は鹿島に助けを求めている。松永は純粋に撮影終了を祝って食事に行く気はない。それはクランクアップを祝うのに「二人っきり」でというところからも窺える。
 身の危険を感じ、稲穂が救いを求めて鹿島を見るが、鹿島は何もしない。稲穂を救うのは、自分の役目ではない。そのことが分かっているからだ。自分は真打登場までの時間を稼いでおけばいい。
「鹿島く……」
「八坂には俺からいっとくよ」
「へえ、それは残念だね。僕も皆で食事にいくことを楽しみにしてたのに。吉崎会長には、僕から謝っておくよ。あ、すいません、失礼ですがお名前は?」
 来るべくしてきた「真打ち」の八坂。
「あなたは……」
「あ、お話中失礼しました。僕は天原八坂というものです。今回は僕の小説の映画化に多大なご協力頂き、まことにありがとうございます。原作者の僕も公開が楽しみな作品に仕上がっていると思いましたよ」
 それが鹿島達がこの撮影現場にいた理由。今の撮影は公開ロケではない。それなのに特に働きもしない鹿島達が見学していられたのは鹿島達が稲穂の幼馴染だからではなく、八坂が原作小説の作者だからだ。八坂は中学二年の時に新人賞をとって以来、今までの五年で何本ものヒット作を生み出している人気作家だ。さっき撮影していたのは、ある人気シリーズのあるエピソードの映画化である。
「吉崎会長というのは……?」
「経団連会長の吉崎茂弘さんです。僕の祖父とは若い頃からの付きあいでしてね。以前から稲穂ちゃんと会ってみたいとは仰ってたましたが、お忙しい方なので中々時間が合わなかった。そんなおりちょっとした手違いで偶然今夜時間ができたから、都合が合うなら是非ってさっき電話が入ったんです。けどどうやら駄目そうですね。そう連絡しておきます」
「……」
 松永の顔が、灰色を通り越して土色になっている。この映画の原作者の父が旧財閥系企業群の中核をなす都銀頭取で、祖父は一線を退いた今も、財政官界に公然の影響力を持つ政治家だとは知っていた。
 知っておかなければならないことだった。映画化、ドラマ化などで必ず大ヒットを飛ばす超人気作家は、ただのへそ曲がりなどがいっそ可愛らしく思えてくるくらいの、一歩扱いを間違えれば己を跡形もなく蒸発させかねない核弾頭そのものだった。だから直接の面識は今までなかったが、八坂の機嫌を損ねないよう松永も注意してきたのだろう。だが、櫛田稲穂が天原八坂とここまでの面識があるだなどついぞ聞いたことがなかったようだ。
「稲穂ちゃん、吉崎さんの話は気にしなくてもいいよ。向こうも『突然なのは承知の上です。もし都合があえば』としかいってないからね。今日は……ええと、このドラマのスポンサーをやっている、何社の松永さんでしょうか?」
 わざとらしい確認が、「お前の顔と名前は覚えたからな」などというよりも数段強烈な脅しとなって、松永に突き刺さっている。松永も経済の世界に生きているだけに、八坂の祖父と経団連会長たる吉崎の不興を買うことがどれほど恐ろしいことか分かるのだ。
 もう松永の息はあらぎ、顔から血の色はうせ、真っ黒になっていた。
「……そうだ。私はこのあと別の仕事があった。誠に残念だが、今日のところこの話はなしにしていただこう。失礼、櫛田君」
 冷や汗かきながら、松永はいなくなった。すごすごという擬音が聞こえてくるくらい惨めな背中はすぐ鹿島らの視界から消える。
「ありがとう。八坂君」
「いえいえ、どういたしまして。さて、それじゃあいこうか」
 八坂に促され、三人はエレベーターでビルの一階に向かい。外に出る。
 撮影現場だったのは、JR上野駅前から少し離れた高層ビル屋上だった。周りに特に高層建築物もない中、そのビルだけが高さ七十m以上という高さのため見晴らしがよく、しばしばドラマなどの撮影などに使われるらしい。
 稲穂達は、マンションの前に横付けされたワゴン車に乗りこんだ。
「予約した店はどうだって?」
 車の中で、鹿島が八坂に尋ねる。
「駄目だってさ。三時間も遅れてるんだから、その辺は文句言えないね」
 腕時計を見れば、時間は十一時〇五分。普通の飲食店はもう店を閉めているか、ラストオーダーを取りに来ている時間だ。
「……ごめんなさい」
 稲穂が肩を竦めて消沈する。
「稲穂が気にすることじゃないさ。撮影がずれ込むなんて、よくあることだろ?」
「けど……」
「予約していた店だけが食い物屋ってわけでもないさ。今日は軽くラーメンかなにかでも食べて帰ろうぜ」
 稲穂を元気付けようとする。どんな理由であれ、鹿島は沈んだ稲穂など見たくない。
「うん、そうしよっか。すいません、駅前で下ろしてもらえますか?」
 励まされて、稲穂の顔がいくらか明るくなり、運転手にそう頼む。そのあと暫くしてJR上野駅前に辿りつきワゴンから三人が降りる頃、さっきまで結構強く降っていた雨はもうあがっていた。
「稲穂、何か希望あるか?」
「お座敷のあるお店がいい。最近ご飯は車の中とか控え室とかばっかりだったから、久しぶりにゆっくり座って食べたいの」
「じゃ、そういう方向で探すか」
 鹿島達は駅を離れ、大通りに並んでいる店から営業中のラーメン屋などを少し見て回る。
「あれ、櫛田稲穂か?」
 少しすると、後ろで声がした。
「そうかもな。最近この近くでドラマの撮影をやってたって話だし」
「隣にいる背の高い人も、見たことあるぞ。多分小説家の天原八坂だ。今度のドラマはあの人の小説が原作で、確か二人は同じ高校に通ってるんだよ」
「じゃあ、となりの人は?」
「……さあ、多分友達かなんかだろ」
 当人達は小声で喋っているつもりだろうが、有名人を間近にしているせいか声は意識せず上ずっており、五mほど前を歩く鹿島達に、その内容はまるきこえになっている。
 かなり失礼なことを言っているが、事実なので鹿島は反論する気にもなれない。
「あの、櫛田稲穂さんですよね?」
 少し歩き横断歩道で信号待ち中に、先の二人。
「はい。そうですけど」
 信号待ちをしていた自分達以外の数名が驚愕し、空気が変わる。
「……あの、これにサインお願いします」
「はい、これから、応援よろしくお願いしますね」
「ありがとうございます。あと、天原先生も、良かったらお願いします」
「その前に少しここから離れましょう。他の人達の邪魔になります」
 八坂と稲穂は横断歩道から少し離れた場所に移動し、サインや握手をする。
 一方鹿島は、横断歩道の前に一人取り残される。サインを求めるものなど一人もいない。
「『友達か何かだろ』、か」
 取り残され、さっきの言葉を一人呟く。
(そう、なんだよな)
 自分には何もない。稲穂や八坂とこうして肩を並べて歩くに足るものなど何もない。努力はしている。鹿島も高校ではバスケット部の副主将だ。一七五という身長は、バスケという競技の中だと決して高いものではないが、日々皆と練習して、母校バスケ部にインターハイ出場と、二回戦突破をもたらした。県内のバスケをやる高校生の間でなら、「八代高校の高原」でかなり通じる。だが、稲穂や八坂のような全国レベルの知名度は望むべくもない。
 ほぼ全身全霊を傾けてようやくこれが限界の鹿島と、片手間(のようにしか鹿島には見えない)で億円単位の収入すら産み出し、スポーツも万能の八坂の前に置くと、その程度の実績は簡単に消し飛んでしまう。
 作家の実績とバスケの資質は方向が違う。と言い訳はできない。八坂はスポーツも万能だ。作家業の多忙を理由に特定運動部には所属していないが、体育の授業では超高校級というか超人間級というか鹿島にはどうやったってできそうにない離れ技を簡単にやってのけている。鹿島は自分の土俵であるバスケで勝負しても、八坂に勝てる気は全くしない。
 その他、学力、資産、家族、などなど、八坂と比べても見劣りしないものが、鹿島には全くない。八坂はルックスもモデル並だ。
 今稲穂の側に立っているが、全く見劣りしていない。一方自分は可もなく不可もなし。
「先生の本は全部読んでます。これからも、頑張って下さい」
「ありがとうございます」
 穏やかに礼を言いながら、八坂は稲穂の傍らでサインをし、握手をする。
(天は二物を与えず、か)
 本来は「あることに優れた人も別の事柄では十人並かそれ以下である」という意味で使われる言葉だが、ちょっと見方を変えれば、八坂にも十分当てはまる。本当に人の才能をも左右できる「天」とやらが実在し、本気で誰かを寵愛しているのなら、二物などとみみっちい与え方はしない。十物二十物と大盤振る舞いする。その実例が目の前の八坂だ。凡人の奇策や努力など全く意に介さない、本当の天才といえる。
「お待たせ。さ、いきましょ」
 サインや握手を求めてくる人達を捌ききった稲穂と八坂らと、再び歩きながら考える。
(俺も、本当ならあの人達と同じなんだよな)
 自分も、今サインを貰い満足そうに去っていった人達と同じなのだ。面識のない自分が、さも親しげに二人に近づこうものなら、胡散臭い目を向けられるだけだろう。全国的な有名人である二人と知り合いになれるきっかけなどない。今鹿島が二人の側にいられるのは、二人と自分がたまたま生まれた頃からの知り合いだからというだけのことにすぎない。
「……ね、今度の日曜日、皆で遊びに行かない? お仕事も一区切りついて、まとまった時間が取れそうなの。どこか行こ?」
 抑えたつもりなのだが、やるせなさに顔に出てしまったようだ。話題を変えようと気遣う稲穂の表情が、鹿島には辛い。
 待ってくれるのが辛い。自分を残し、二人先に進んでくれれば、どれだけ楽だろう。
 人は、いつまでも同じではいられない。
 幼い頃一緒だった三人が、長じた後も一緒にいなければならない理由などない。
 鹿島から見ても、お似合いの二人。
 だから、答えもきまっている。
「次の日曜日か……悪いな、その日は他の約束があるんだ」
 当然、実際は約束などない。
「そうなの、じゃあ……」
「二人で行けばいいさ。気にするなよ」
「……だって、私は……」
「待って、二人とも」
 八坂が、不意に足を止めた。
「どうしたんだ、八坂?」
「どうしたの、八坂君?」
 自分の傍らで稲穂も同じように問い掛けているが、八坂はそれに返事をしない。
 八坂は、辺りを見まわして、何かを探しているようにも見える。
 JR上野駅前の大通り。一本の車道の両側には歩道があり、その脇には、個人経営だろう古本屋から全国展開する大手デパートまで無節操ともいえる趣で並んでいる。
 時間は夜十一時。車通りも人通りもなくはないが微々たるものだ。鹿島には、八坂が何故急に立ち止まったのかわからない。
「二人とも、走って!!!!」
 振り向かずに、八坂は言う。自分達の前方十五m辺りに、エンジンをかけたまま停止しているワゴンに向かって走りながら。
 直後ワゴンのドアが乱暴に開け放たれ、清掃業者のような水色の作業服を着た、十代後半から二十代前半の男達六人が飛び出す。 
「はっ!!!!!」
 既に、ワゴン車の側まで移動していた八坂が、他に「裂帛」という表現の使用を躊躇わせる掛け声と共に、ハイキックを出て来たうちの一人の顔面に直撃させる。
 襲撃者はうめきも上げずのけぞるが、倒れない。逆に二十m以上離れた鹿島達にでもはっきりと分かるほど害意を増幅させて、作業着の青年は八坂を睨む。
「ふっ!!!!」
 のけぞり、がら空きになった腹へもう一蹴。
 一発目とは違う、押し飛ばすミドルキックに二人目を巻きこみ、体勢を崩させる。
「ご…が……」
 悶絶する二人には目もくれず、八坂は脇を抜けようとする二人にとりかかる。
(どっちが通り魔だよ、おい……)
 今目に見える事実だけを言葉にしたら、鹿島の思った通り八坂こそ通り魔だ。
「速く、二人とも走って!!!!」
 だが現実はただ一つ。見たこともない彼らは、間違いなく自分たちを狙っている。叩きつけられる意識がそう言っている。突然のことに呆然としていた二人も、八坂に遅れること三〇秒ほどで、ようやくそれを理解した。
「逃げろ、稲穂」
 一歩前に出て、稲穂を背でかばいつつ、鹿島は迫る二人を見据える。
「でも……」
「いいから走れ!!!!」
 振り向かずに、命令する。
(俺達が狙いだ)
 理由はわからなくても、それだけはわかる。叩きつけられる敵意が、狙いは自分達だと告げている。
 二人を瞬時に片付けた八坂が、さらに右手の二人を片付けにかかっている。だが、車道側のドアから飛び出した二人と、自分達の距離は五mない。
(すぐそこに八坂がいる。来るまでのせいぜい二〜三十秒稼げれば、それでいい)
 悔しくても、情けなくても、それが現実。
 八坂が格闘技を教わっている人物から、鹿島も一通りの手ほどきを受けている。
 目の前の二人を撃退することはできなくても、時間稼ぎくらいならできるはずだ。
(そのくらいできなくてどうする!!!)
「速く行け、稲穂!!!!」
「ひぃゃほおおおおおおお!!!!」
 奇妙な叫び声を上げて迫る二人組。そのうちの一人と、鹿島は距離をつめる。
「いくぞっ!!!」
「あ″―――――」
 絶叫に少し遅れ、作業着姿まとう茶髪の襲撃者は、右手を大きく振りかぶった。
(打ち下ろし)
 動きを読み、隙だらけの攻撃を右によける。
 空る音と共に、鹿島の頭が一秒前まであった空間を、右拳が通過する。
(なんなんだ、こいつら?)
 何か異様だ。「この世のものとは思えない」が一番適切にも思える背筋を冷たくさせるものを、彼等は全身に帯びている。
(なんだろうと関係あるか!!!!!)
 後ろには稲穂がいる。相手が襲ってくるというなら、こちらはやるだけだ。
 拳を振り抜いた隙をまだ残す、作業服のこめかみに、全力で拳の腹を叩き付ける。
 鈍い手ごたえが、鹿島の手に伝わった。例えば鉄の塊でも殴りつけたような鈍い手応えだ。かなりの痛打であったことは間違いなのに、倒れなかった。
 逆に増幅された敵意の目が鹿島を貫く。
 男の右腕が振りかぶられ、振りぬかれた。
 小さな衝撃が、全身を突き抜け、否応なく、意識が立ちきられる。多分殴られて、そのまま床に叩き伏せられたのだろう。全ての感覚が黒い靄に覆われ、つま先まで全身の全てが痺れ、動かない。
『いやああああああっ!!!!』
 近くて遠いどこかで聞こえる稲穂の絶叫。
『鹿島君、鹿島君っ!!!!!!!』
 すぐ近くで、自分の名前が呼ばれている。肩の周りを優しい感触が包む。稲穂が自分を抱き起こしている。逃げろといったはずの稲穂が、まだ自分の側にいる。
「逃げろ……いなほ……」
「鹿島君……」
 自分が意識を取り戻したことを確認して、涙目の稲穂に安堵が浮かんでいる。ぼんやり見える視界の中で、まずそれを理解した。
「さ、はやく連れてって」
「え……?」
 そして次に聞き覚えのない声の主を聞き、その姿を理解する。今鹿島達は作業服の二人と、十五歳くらいの青いオーバーオールを着た子供にかこまれている。
 はじめ子供は居なかったような気がしたが、さしあたりそんなことはどうでもいい。
「ほら、急いで」
 声や見た目は十三〜四で、オーバーオール姿で髪は真っ白の少年が、作業服の襲撃者らに命じる。
「く………」
 鹿島は全身に残された力を振り絞って身体を起こす。理由は全くわからないが、白髪の少年の言葉から察するに彼等の狙いは間違いなく稲穂だ。倒れているわけにはいかない。
「にげろ……いなほ……」
 ふらつく身体を稲穂と敵の間に置く。
「根性だけは認めてあげるよ」
 認められるのは根性だけ、今更お前が立ちあがろうと、何の役にも立ちはしない。
 薄く笑いながらの「根性だけ」に込められた揶揄は、確かな現実だった。
 自分を一発で打ち伏せた襲撃者二人を相手に、もはや満身創痍の自分が何をできる。
「……その通りだよ。俺にできることは……時間稼ぎくらいなものさ」
 絶え絶えにいいながら、鹿島は自分が最低限のことはできたと理解した。
 自分達と向かい合う襲撃者と少年の頭上背後に、八坂が見えた。
 地面から二m以上跳躍して振り上げられた八坂の左足が、鹿島から見て右側の襲撃者の右肩にめり込む。
「せえっ!!!!!」
 相手の肩に食い込ませた踵を支点としてまず一人を叩き伏せながら、さらに振り下ろした左足を軸に方向と重心を転換し、地面と足が二m以上離れている空中で身体を大きくひねった。
 人間の体同士がぶつかったとはとても思えない、何かが爆裂したような音と並行して右のなぎ払う足刀で向かいの作業服の顔面を捉え、歩道の植え込みに激突させた後、着地。
 台本通り定められていたとしても、きちんと実行できれば拍手喝采を巻き起こすだろうアクロバットさながらの大技を、八坂は今実戦の中にさもあっさり組みこんでのけた。
 自分にできることは、せいぜい時間稼ぎしかない。だが時間さえ稼げば、必ず稲穂を守るだけの力を持った親友がいる。
 少年の背後にも、同じ水色の作業服を身につけた連中が四人倒れている。
 敵はもうほぼ全て沈黙した。あとは白髪の少年が一人いるだけだ。
「……っ」
 危険は去ったと思ったら、また痛みなどがぶり返してきて、膝から下の感覚を奪う。
「大丈夫、鹿島君!!」
 稲穂が駆け寄って、肩を貸してくれる。
 それが、自分の守ろうとしたもの。そして、決して自分が手に入れられないもの。
「どうやら君は他の人達とは違って、まともな会話ができるみたいだかね。知ってることは洗いざらい話してもらうよ」
 自分達の前で、八坂が少年に尋問している。
「話を聞いたら、どうするんだい?」
「当然相応の報いを与えるよ。二度とこんな馬鹿なことは考えないよう、立ち直るまで最低二百年はかかるくらい徹底的にね」
 それが誇張にも冗談にも聞こえないくらい、今八坂が放つ怒りと敵意は強烈だ。
「君ならそれだけのことを言える資格があるかもね。あれだけ派手にやっておいて、誰一人死んでない。これももちろん狙ってやったことなんでしょ?」
 多分そうだろう、とは鹿島も思う。今辺りに転がる人間は、誰一人死んでいないだろう。
 どれだけ力を込めても、その生死を見切る。言いかえれば、殺す気で人を殺せる。
 それが天原八坂。その辺の中途半端な秀才とは違う。真剣で殺し合いをするどころか、その刃に即効かつ致死性の猛毒が塗ってあったとしても眉一つ動かさずにいられる、精神面も並外れた本当の天才。
「そこまで分かっているなら、君も安心して眠ってよ。死にはしないからさ」
 口調は普段のままだが、鹿島や稲穂と話す時とは完全に異質。暖かさを微塵もない。ただ冷たすぎる。
「いやだね、僕は痛いのが嫌いなんだ」
「じゃあ、眠りなよ」
 何が「じゃあ」なのかわからないが、六人を四十秒で片づけ、背が四十p低い子供にそういう場だけ見れば、完全に八坂が通り魔だ。しかし誰もそう思わない。八坂の怒りは、夜とはいえ何人かはこの場にいて、唖然とする通行人に疑問を感じることさえ許さない。
「けど、これで終わりじゃあないんだよね」
 少年はポケットに両手を突っ込んだまま、薄ら笑いを浮かべ口笛を吹いた。
 口笛より耳鳴りに近い音が、多くの人間にとっては状況の異常性で何も聞こえなくなってしまった無音空間に鋭く響く。
(え?)
 鹿島は少年がぶれたような気がした。
 その後周辺の空気がよどみ、重くなる。
 そして少年の背後で倒れている四人の襲撃者がおきあがり、こちらへ歩き始める。
 今の今まで倒れていたはずのに、立ち上がる以外に何も、頭を振ることもせず。
 身体を動かす動作に、力が全くない。どう見ても、少年が彼らを操っている。
 さっき大技で倒した二人はまだ動かないが、この分だと遠からず動き出すだろう。
「稲穂ちゃん、逃げて」
 八坂が背中ごしに言う。「鹿島を連れて」とは言わない。鹿島はそれをどうとればいいかわからない。
「鹿島君、大丈夫? 行くよ」
「……に…ろ………」
 言葉すら、満足に喋れない。
「大丈夫、歩ける?」
「くっ……」
 歩こうとするが体が動かない。少しでも体を動かそうとすると、頭を中心に鈍痛と吐き気が襲う。
「にげてくれ……おねがいだ……」
 さっきの会話からしても、少年達の狙いが稲穂であることは間違いない。その稲穂が逃げるための時間稼ぎすらままならず、逆に稲穂をこの場に繋ぎとめる足かせになってしまっている。これで稲穂に何かあったら、悔やんでも悔やみきれない。
「にげて……くれ……」
「駄目だよ。鹿島君頭に怪我したのよ。速く病院にいかないと!」
 この状況には的外れなことを、稲穂がいったのにあわせ、前方で八坂が動いた。
「うわっ!!」
 刹那に四mをつめ、少年の頭を狙い八坂のミドルキックを放つ。それを少年は後ろに飛びのきかわした。
 原理は全く想像できないが、四人を少年が動かしている。だから少年を叩けば、四人も動かなくなる。八坂はそう判断したのだろう。 
「すごいよ。話には聞いていたけど、まさかここまでなんてね」
「こっここころししてやるるるぅぅぅぅ」
「ひぃやはははははははぁぁぁぁぁ!!」
 飛びのいただけで、少年は五m以上離れていた。僅か弾む声に、飛びのくことで八坂との位置が入れ替わり、八坂と少年の間に立ちふさがる形になった傀儡達の、正気を失った叫びが続く。
 八坂の肩がゆっくり上下した。
「それ以上近づいたらどうなるか、覚悟してるんだろうね?」
 あまりにも冷たい、何の「覚悟」かを確信せさずにおかない八坂の声。それはまともな意識の存在自体が危ぶまれる四人だけでなく、傷つく鹿島や動転する稲穂すら有無言わさず完全に圧倒する。
 冷たさも静けさも、次の一瞬に炸裂するだろう怒りの激しさの前兆にすぎない。
 今何をしているかの自覚もないだろう襲撃者達が、確かにのけぞり後ずさる。
「今なら、勘弁してあげるよ」
 殺さない程度で。音声が省略した部分はなにか、朦朧とする鹿島すら容易に想像できる。
 その口調は誰にも悟らせる。真の怒りは静かなものだ。喚き叫んでいるようなものは怒りではない、と。
 八坂の手が、気配が、怒りが動く。
「ひ…………」
 凍りつく空気は、もうたじろぐことすら許さない。襲撃者たちは、息をのんだまま上半身をのけぞらせ、何人かいる通行人全員までも足を止められ、至近の未来に繰り広げられる断罪の瞬間を待ち受ける。
 ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃん
 少年が口をすぼませて、口笛らしくない音をまた響かせた。
「ぃよおおおおおおおおお!!!!!」
 叫んでいる間に、八坂は正面にいた二人の前に移動し、右ミドルキックとそのまま変化する踵蹴りで打ちのめし、さらに右手にいる二人を、体重移動させながら右後ろ回し蹴り一発で沈黙させた。
(……ほんとうに凄いよ……お前は……)
 人の正気を失わせ、操るような敵相手に一歩も引かないどころか優勢に戦いを進めてしまう八坂。一方敵に一撃で打ち倒され、動けなくなってしまった自分。
 理不尽に襲いかかってくる敵以上に、何もできない自分に怒りがおさまらない。
 ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃん
 先程アクロバットさながらの大技で倒された二人が、体を起こし自分達に迫る。
「くっ……眠ってろ!」 
 仰向けの姿勢から身体を起そうとしている一人の顔面をつま先で思いっきり蹴っ飛ばし、足の痺れと引き換えに一人を沈黙させた。 
「あ゛―――――」
「っ………くっ!!」
 起きあがったもう一人による、濁った叫びを上げつつなぎ払いった右腕が右肩に直撃してまた打ち伏せられても、痛みはあまりない。もう精神が焼き付けかけているのだろう。
『鹿島君、鹿島君!!!!!!』
 悲痛な悲鳴が、また遠くなる。
『離して、どいて、邪魔しないで!!!!』
 襲撃者に連れ去られようとしているのだろう。狂乱気味な稲穂の声。
(く………そ………)
 稲穂の叫びを聞く都度、鹿島の頭の中で屈辱が全身を隅々までをつついて回り、朦朧とする意識の中で、不快な感覚を鮮明化がしていくのを感じつつ、思う。 
『鹿島君、しっかりして!!!!!!』
(……少しくらい、自分のこと心配しろよ。今さらわれかけているのはお前なんだぞ)
 どうして俺のことばかり心配する。どうして俺に「助けてくれ」と言ってくれない。
 答えは、自分の中からすぐかえってきた。
(……俺に言っても、どうにもならない)
 八坂が一発で倒した相手に一撃で倒された自分が求められ、一体何をできる。
(俺は、何もできない)
 大切なひとを守る力などない。
 できなくて当然なのだ。八坂のようにこの異常事態に対応できる方が異常なのだ。
(子供のころから、そうだった)
「稲穂をお願いね、高原君、天原君」
 稲穂の母が、小学校に入るとき鹿島と八坂にいった言葉。
 小学校卒業あたりまで稲穂は体が弱く、体育の授業にも滅多に出れなかった。だから友達もあまりできないかもしれない。その分幼馴染の二人が仲良くしてあげて。当人にはその程度だったかもしれないが、二人は両親から稲穂を預かったと理解し、いじめなどあらゆることから稲穂を守ろうとした。
 稲穂の母にいわれるまでもなく、二人にとって稲穂は物心つく頃からの何よりも大切な友達だったから。
 そうしていつしか稲穂を異性として認識し、好意以上の感情を自覚した直後、鹿島は思い知らされた。自分は八坂に及ばない。八坂に何かで勝ったことなど本当に一度もない、と。
 だがその屈辱もすぐ終わる。八坂は小学校を卒業するころ既に天才だった。年齢で自分の三倍、柔剣道合わせて十段以上もざらという大人達と組手をやってほぼ勝っていた。
 八坂に勝てなくても変じゃない。八坂に敵わないのは、俺だけじゃない。
 稲穂のことも、そう思ってきた。
 八坂と稲穂、お似合いの二人。稲穂の無邪気で無防備な笑顔を独占するに足る才知と、何があっても護り抜く力を持つ、鹿島にとっても誇るべき親友、八坂。
『鹿島君、しっかりして!!!!』
 一方さらわれる稲穂に何もできない、無力で惨めでなさけない自分。
(ごめん、稲穂。けど心配する必要はないさ。きっと八坂が何とかしてくれる)
 妙にゆっくり、そして力強く近づく足音は、間違いなく八坂のものだろう。
 八坂なら、きっと何とかしてくれる。倒れる自分など一足に跨ぎ飛び越して。
 自分などいなくても、八坂さえいればきっと何とかなる。これまでもそうだった。
 ホントウニ、ソレデイイノカ?
 心の中で、「誰か」が問い掛ける。
 本当に、八坂に任せていいのか?
(いやだ!!!!)
 これだけは絶対譲れない。稲穂を守りたい。
 コンドコソジブンノモノニスルタメニ
 力がほしい。この妙な連中を打ち倒す力が。八坂に負けない力が。
 何よりも、この身が焼ける程強く願う。
(誰でもいい。俺に力をくれ!!!)
 ナラ、オシエテヤル
(え――――?)
"お前の本当の力を目覚めさせてやろう"
 頭の中で、「誰か」の声がした。
(な―――――)
 疑問に思うよりも速く、右手で「何か」が炸裂し、全身を力が駆け巡る。
 自分が自分でなくなるような、圧倒的な力。
 モトメヨ、スベテヲウチクダクチカラヲ
 そう、寝てる場合じゃない。俺は起きなければ、戦わなければならないのだ。
 力を願い、右手を握り締める。
 ミセテヤレ、オマエノホントウノチカラヲ
(起きろっ、俺の身体っ!!!!)
 どがらしゃっ!!!!
「え………」×三
 凄い音の後、鹿島と八坂と稲穂は三者三様に唖然としていた。鹿島は左手で襲撃者から稲穂を引き離し、そのまま右ストレートで吹き飛ばした後。稲穂は鹿島に抱きかかえられながら。そして八坂は、自分がやろうとしたことを鹿島にやられてしまい、仕方がなくとりあえずもう一人を左フックで殴り飛ばしてから。
 それからようやく鹿島は気がついた。大音響は自分が稲穂を担いで連れ去ろうとする、襲撃者に一撃を加えて三m以上離れた植え込みに吹き飛ばし、激突させた音だ、と。
「鹿島、君……?」
 目に一杯の涙を浮かべたまま、抱きかかえられて自分を見る稲穂に一番色濃く浮かんでいるのは、やはり混乱だった。
「……大丈夫、なの???」
「そう、らしい……」
 答えが他人事この上ない。今まで全身を支配していた混濁感は、もう完全消滅していた。その代わりといっていいのかどうか、全身に力がみなぎっている。今は稲穂を抱き上げているため見ることはできないが、特に右手を中心に力が在る。
(どうなってんだ、俺?)
 そんな疑問は、かき消される。鹿島と八坂が一撃で吹き飛ばした二人が、またゆっくりと立ちあがろうとしている。
(奴らの狙いは稲穂だ。意識すら怪しい連中が、手を上げずに連れさろうとしてる。間違いない)
「下がってろ、稲穂!!!!」
「でも……」
 鹿島の胸から下ろされた稲穂が、言外に提案する。一緒に逃げようよ。そうすれば、後は八坂君が何とかしてくれるから、と。
 そうわかるのが、辛い。
「大丈夫だ、そこで見てろ、稲穂!!!」
 振り返り、今にも襲い掛からんとする襲撃者をにらみつけながら、一方で微かに右手を持ち上げ、視界の中に入れる。
 夜でも振ると分からなくなってしまうほど微かだが、鹿島の右手は確かに発光していた。
(……これが……俺の本当の力?)
 頭の中で「誰か」が言っていたのは、今全身を駆け巡る、自分が自分でないとすらまでに思ってしまうほどこの力なのだろうか?
 だが、とりあえずそれはどうでもいい。稲穂を守れるなら、それが誰の力であるかなど関係ない。
「いくぞ!!!!」
 もう襲撃者が全員の力を超える力を手に入れた、それを確信して、鹿島は自分から挑みかかる。
「八坂、そっちの三人任せた!!!!」
「わかった……」
 返事を待たず、三人を倒しにかかる。
 まず、さっきの一撃で倒れ、立ちあがろうとする襲撃者の腹を右足で蹴飛ばし、そのまま、八坂の左フックで吹き飛ばされたにもかかわらず、もう立ちあがろうとしてる二人目のあごに右アッパーを叩きこむ。
 確実に足を地面から三十p以上浮き上がらせた後、落ち倒れるより速く三人目。
「べぁっ……」
 ボディブロー気味の右が鳩尾にささり、三人目が胃液と共に苦悶を吐き出す。
 ヨリツヨク、モトメヨ
 また、頭の中で「誰か」が言った。自分のような他人のようなはっきりしない声で。 
「はっ!!!!」
「が………」
 一瞬だけ大きくのけぞってから、三人目の襲撃者は倒れ、動かなくなる。
「今のは………」
 これも「本当の力」の一部なのだろうか。相手から微か煙を立ち上らせる、スタンガンのような攻撃も。
 だがこれが自分の「本当の」力だとしたら、自分は本来何者だというのだろう。
「へえ、もう動けるようになったんだ」
 白髪の少年が、いつのまにか鹿島らの前方二mくらいのところにいる。
「ちょっと分が悪くなっちゃったね。今日はこの辺で、引き上げさせてもらうよ」
 登場した時と変わらない、おどけた瞳。
「次があると思っているのかい?」
「次はないよ、永遠にね」
 警官がいたら八坂こそ逮捕される声で凄む。
「こっちにも事情があってね、やらないわけにはいかないんだよ」
 そこまで言うと、ただ一人私服姿であった、白髪の少年はもう一度口笛を吹く。
 再度耳鳴りに近い大気振動の後、八坂に叩きのめされた六人が浮かぶ。今度は気絶した姿勢のまま、別の何かに支えられて重力すら断ちきり、覆い被さるように鹿島達へ迫る。
 それらの飛び道具を鹿島と八坂がたやすくかわして再び少年の姿を探したそのとき、もう少年の姿は見当たらなかった。この場から離れた、という風情ではない。少年が走って逃げれば、周囲の人間も最低目で追うくらいはする。だが、周囲の視線は今も十秒ほど前まで少年が立っていた場所に集中したままだ。白髪の少年がこの場で消滅したとでも言わんばかりに。今までに起きた現実を考えれば、そんなことができても、おかしくはない。
「逃げられた……のか?」
「多分ね」
「鹿島君、それから八坂君も大丈夫?」
 ふたりの後ろから、稲穂が尋ねる。
「この通りピンピンしてるよ、僕{も}ね」
「……じゃあ、はやくかえろ」
 八坂にからかわれ、赤面している稲穂。
「それは止めておいたほうがいいね。こういう場合は、一区切りついたころに警察がくる、っていうのがお約束で相場だからだよ」
「映画なら、サイレンと同時にスタッフロールが流れるわけか」
「おおむねね。たいていこういう場合の警察はあんまり役に立たないものだし」
 けたたましい笛の音が続いた。
「そこで何をしている!!!!」
 声に続いて駆けつけたのは、警官二人。 仮にもう十分速くきたところで、二人くらいではあまり助力にならなかっただろう。
「事実は小説より王道なり、か」
 自分を落ち着かせるためにぼやく鹿島は、まだ気がついていない。いつのまにか、その右手の発光が収まっていることに。

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