誰かが自分の前で土下座している。
「頼む、お願いだ!!!」
 その誰かが、土下座したまま懇願する。いや、誰かではない。その顔を見間違えるはずがない。目の前にいるのは、これまでの多くを共有してきた親友だ。
 自分にないものを全て持つ、友。
(何てカッコしてんだよ、お前)
 あぐらをかいて相手の土下座を受けながら、鹿島は軽く笑う。目の前で頭を下げる親友は妙な格好をしていた。なんと言えばいいのだろう。歴史の教科書で何度か見た、古墳時代の服装のような服装だ。
(まさかこんな趣味があったなんてな)
 土下座したままの親友を見てそう思ってから、あぐらをかいている自分のしている格好に気がついて唖然とする。親友のことを笑えない。見れば自分も同じような格好だ。
(え―――)
 わけがわからず鹿島は辺りを見渡たそうとしてみたが、できなかった。
 人間の視界で表示されるテレビ、というには感覚が生々しすぎる。身につけている服の感触もしっかり感じる。身体の感覚を脳に伝える神経だけが生きていて、脳の命令を身体に伝える神経だけが死んでしまったといえば一番近いか。
(なんだ、これは? ここは、どこだ?)
 続けてそう思う。今、自分で動かすことのできない視界に映るのは、床だけでなく壁面や天井まで総木張りの部屋だ。
(一体ここは……)
「頼む、お願いだ!!!!」
 そこまで考えたとき、眼前で頭を下げている親友が親友の声で、だが親友ではない口調と言葉づかいで叫び、懇願した。
「俺とお前なら、きっとなんとかできるはずなんだ。頼む、俺に力を貸してくれ!!!」
 「俺」「お前」。らしからぬ一人称と二人称で親友は再び叫ぶ。だがそれ以上にあっけにとられるのが、親友の言葉の内容だった。
(「俺とお前なら」ねえ。いよいよ無茶苦茶だな。ひょっとしてこれ夢か?)
 何をするにせよ、親友が鹿島と自分の実力を同一視することなどあるとは思えない。侮蔑以前の単純な事実だ。この親友は知腕財権、力と名のつくものは全て持っている。
(お前の手におえないようなことに、今更俺なんかが手を貸してどうなるとも思えない。そんなことはお前が一番わかってるだろ?)
 あまりにも現実離れした展開に、鹿島は幾らか冷静になることができていた。
「頭をお上げください、貴方はそのようなことをして良い方ではありません」
 まるで違う口調の、だが鹿島そのものの声が、冷たい、突き放す声でいう。
「じゃあ、手を貸してくれるのか!!??」
「これは主上以下全員の決定です。私が私情で行動して良い問題ではありません。どうかご理解して下さいますよう」
「できるわけないだろう!!! このままじゃ、あいつが死んじまう!!」
(あいつって、誰だ??)
 まるで親友らしくない言葉のなかにあった人物は誰だろう。そう思った瞬間、ある見慣れた人物の姿が頭の中に浮かび上がる。こちらも鹿島達と同じでおそらく古墳時代の、高い身分の女性がする服装ではなかろうか。神社の「巫女さん」と御伽話「浦島太郎」の「乙姫様」を合わせたような格好の女性だ。
(……誰だ??)
 親友と同じくこの上なく身近な相手のはずなのに、その名を思い出せない。思い出せないのではなく、記憶が混乱している。鹿島はその名前を思い出そうとしているが、今鹿島が中に入っている(?)別の「誰か」が別の名前を繰り返して混乱させる。そう思ってから、実は目の前の親友の名前も思い出せない。ことに気がつく。まぎれもない親友だとはわかるのに、名前が出てこない。
「頼む、俺に力を貸してくれ!!!」
「その頼みだけは聞けません。私も、既にこの計画で愛するひとを失っているのです」
「な……」
 親友に似た誰かが息を飲んで唖然とする。
「彼女は、進んで計画を完成させるために命をささげました。彼女とあの方は関係ないと言われれば確かにそうです。しかし、ここであなたに力を貸すことは、彼女の命と思いを踏みにじることに他なりません。こればかりは、お許し下さい」
「……そう、だったのか」
 なおも親友は、唖然としたまま呟く。
「悪かった。知らなかったんだ。お前も……いや、そうだとしたら、尚更筋違いの話だったな。今の話は忘れてくれ。じゃあな」
 さっきまでの取り乱した調子はもうないが、やはり鹿島も滅多に見ない風情、がっくりと肩を落として親友は立ち上がり、この殺風景な木張りの一室を出ていった。
(待ってくれ! あいつって誰なんだ!!)
 叫ぼうとするが、やはり徒労に終わる。「誰か」は身じろぎもせず、さっきまで親友が座っていた辺りを見つめている。
 しばらくして、「誰か」が一人呟く。
「何をしているんだ、私は………」
 そして、そのとき再びある感情が、鹿島の中で爆発的に膨れ上がった。
(なんだ、これは?)
 感情を一つ一つ認識して呆れる。それらは後悔、悲しみ、怒り、過去への憧憬、己への憤慨、どれも学校や企業の標語としては掲げられそうにない、後ろ向きなものばかり。
(でも――――)
 それらは所詮付属品にすぎなかった。「核」に引き寄せる「核」は他にある。他とはまるで違う、圧倒的な存在感を誇る「核」。
(……嫉妬?)
 あまりにも悲しい、そして激しい嫉妬が、膨大な感情のむこうに渦巻いていて、前向きとは言えない情念の数々を引き寄せている。
 自分を選ばなかった女性に対する悲しみ、その女性に選ばれた親友への嫉妬。
 頭は受け入れても、心が拒否する。
 何故他の男を愛する女を助けるため、全てを敵に回さなければならないのだ。
(一体これは―――)
 鹿島がそこまで考えたとき、不意に自分が「離れる」のを感じた。改めてその部屋を真上に近い視点か見るとき、さっきまでその視点でものを見ていただろう男の姿が見える。
 自分の後ろ姿をまじまじと見たことはないが、やはりそれは自分ではなかろうか。すくなくとも、声は自分と同じものであったし。
 そんな考えも、急速に薄められる。
 天井の隅から見る木張りの一室が見る間にぼやけ、鹿島の感覚もあやふやになっていく。
(何だったんだ……これは……)
 そう思ったのを最後に、鹿島の意識は完全な闇の中に落ちた。
 PPPPPPPP
 目覚し時計が鳴っている。
「…………――――――」
 目を開けると、見慣れた天井がある。自分の部屋のベッドで、横になっている。
 仰向けのまま頭の向こうにある目覚まし時計を止め、見やると時間は八時半過ぎ。
 今日は日曜日なので、普通ならもっと遅くまで寝ててもいいのだが、今日は出かけなければならないところがあった。
「――――っ」
 上半身を起こし、伸びをする。
 身体のどこかが痛むということもない。あの後、鹿島は大丈夫だといったが、稲穂がきかないので、事情聴取を受けた交番からパトカーで夜間病院へいかせてもらった。
 精密検査の結果、ただ肩を少し打っただけで頭などに心配はないとはっきりした。肩の打撲は一週間ほど要湿布らしいが、今でも痛みは全くない。
「……妙な、夢を見たような……」
 呟いてみても、記憶は鮮明にならない。まあ夢なんてそんなものだろう。人間は一晩で五〜六個以上の夢を見る。だが覚えているのは、起きる直前に見た夢や、それぞれの夢の印象的な部分だけなので、結果的に何がなんだかわからない内容になったりする。何かでそう読んだ覚えがある。
「……けど、妙に生々しい夢だったな。……そうだ、俺は八坂に何かを頼まれてたんだ」
 夢の中で思い出せなかった名前が、今はごく簡単に思い出せた。
「一体あれは……ま、いいか」
 当面鹿島の関心は夢の中より現実にある。
 着替えつつ、鹿島は右手を見やる。手を開き、拳を作る。それを二〜三度繰り返す。
「……確かに、光ってたよな……」
 八坂に一撃で倒されるのは相手が悪かったとしかいいようがない。だが、自分を一撃で戦闘不能にした相手を、数分後の自分は三人約十秒という速さで叩きのめした。
 八坂並みとすらいえる戦闘力を持っていたとき、確かに鹿島の右手は光っていた。
「何だ、あれは? 今また出せるのか?」
 それが気になって、右手を見つめる。
 一旦手を開き、深呼吸して、握る。
 爪が食い込むというよりは、血が集中して破裂する、という感じで力を込めてみる。
 力が集まる感覚がする。どこまで強く握っても、限界はない。
 果てしない、どう考えても自分にはない力が右手に収束し、炸裂した。そう思うしかないくらいの閃光を一瞬で生みだした。
「……!」
 今確かに彼の右拳は発光している。所々には稲光まで帯びている。朝とはいえカーテンで覆われ薄暗い自室内を、一目ではっきりわかるほど、明るくしている。
「これは………」
 唖然としながら、ゆっくりと左手の指先で、その稲光を触ってみる。予想に反してしびれはないが、光自体に少し温かみがあった。
「これで昨日みたいに………」
 言うまでもなく、わかる。これが昨日の、「本当の自分」の力なのだ。
 できれば今すぐその威力を試してみたいところだが、室内に適当なものはなく、何より時間もない。これから鹿島は出かけなくてはならない。
 でも明らかに、昨日の力が自分にはある。残っている!!!!!
「これなら………」
 昨日のような襲撃者がやって来ても、十分対抗できる!!!!
「やれる!」
 歓喜の叫び声を上げそうになってから、かろうじて自制する。
「戻すには……」 
 意識を拡散させると、何かが抜けていく感覚が続いて、自分が自分に戻った。
 昨日までの非力な自分に。けど、もう非力なだけの自分じゃない。
「よし……」
 単に起きた後の作業、という以上の意味を込めて、カーテンを開ける。それにともなって入ってくる朝の光は、まぎれもない彼の前途を照らす輝かしい光だ。
「来るなら、来い。俺は稲穂を護る」
 誰が相手かなど、関係ない。
 俺は、俺から稲穂を奪う奴は許さない。
 そう、誰であろうとも。



 嗅ぎなれた木と畳の臭いに包まれて、鹿島達四人は車座に座っていた。自分と、八坂と、稲穂と、そしてもう一人の四人で、道場の真ん中に座布団を敷き、めいめいの姿勢で座っている。当初、今の会話は別の場所でされる予定だった。だが、鹿島が強く希望した結果、四人は今道場にいる。
 二十m四方はある、十組二十人は楽に組み手を行えるほどの空間中央に、四人が車座に座っている。
「結局、今のところ警察が調べた以上のことは、何もわからん」
 昨日の夜、戦いの現場にいなかった四人目が、座布団に胡座をかいて鹿島達に説明する。
 背丈は鹿島と同じ百七十以上百七十五以下、というところ。うすい緑のスラックスにクリーム色の襟つきシャツという服装。
 ぼさぼさの白いものが少し混じっている黒髪は、もみあげをへて頬、顎にまで繋がっており、顔の大半を覆っている。どこまでが髭で髪か、と論争すれば深みにはまりそうな容貌が年齢の推定を困難にさせる。四十より上なら何歳と言われても「へえ、そうなんだ」で納得してしまいそうだ。
 そんな髭面の老人が、昨日の事件の所轄警察署から聞き出せた内容は以下の通り。
 襲撃者達は、二年前まであの一帯で結構な札付きだったらしい。結構な悪さ、一人道行く女性を車の中に連れこんで、乱暴するような真似もしていたそうだ。最近はある清掃会社でまじめに働いていたという。だが、その「虫」が再発したのではないか。所轄署はそう見ている。
「もう少し時間をかければ何か出てくるかもしれんが、今のところは何もなしじゃな」
「ありがとう、おじいさん。これからも、よろしく頼むよ」
「ご迷惑おかけします。おじさま」
 長袖シャツにジーンズの八坂が言い、セーターとキュロットスカート姿の稲穂が続く。
「任せとけ。稲穂ちゃんを付けねらうような大馬鹿者を、野放しにしてはおけんからな」
 大袈裟な身振りで、胸を叩くのは天原刃。八坂の祖父で、三年前一線は退いたが、今も財政官界に強い影響力を持つ元政治家だ。政界転身前は警視総監を確実視されていたキャリアであると同時に、射撃と柔剣道などの腕前も超一流だった。
 オリンピックに出場し柔道と射撃でメダルも取っている。政界転身後も自分につけられたSPに稽古をつけたという伝説じみた実話を持つ達人だ。そして八坂に格闘技を叩きこんだ人物でもあり、鹿島もいくらか手ほどきを受けている。
「あの子が誰かくらいは知りたかったね」
「そうだな」
 一しきり祖父の話を聞いて八坂が呟き、スラックスにトレーナーの鹿島が相槌を打つ。
 そういう人だから、事件が起きた所轄警察署に調査状況を直接確認したりすることもできるわけだ。真面目に考えれば、あまり誉められた真似ではないのだろうが。
 例の白髪の少年について、意識を取り戻した襲撃者達は何も覚えていなかった。仕事帰りその少年に「面白いことがある。乗らないか」と話しかけられたことまでは覚えているが、その次気がついたときは全身の痛みと一緒に警察の拘置室だったという。
 それを、所轄署は自分達が責任逃れするためのでっちあげだと思っているようだ。
 あの戦いの場に居合わせた鹿島らからすれば、的外れもいいところの結論だが、あまり非難する気にはなれない。白髪の少年が妙な方法で彼らの意識を奪い操ったとか、妙な方法で手も触れず吹き飛ばしたなど、到底信じられるものではない。何かのトリックと考えるのがむしろ正常だろう。
「とりあえず、わしらへの搦め手として稲穂ちゃんを狙った、という感じはないな」
「そうですか」
 刃は今も日本の財政官界に強い影響力を持つ政治家であり、刃の息子にして八坂の父である天原政人は、旧財閥系企業群の中核をなす都銀頭取。八坂自身も、既に億円単位の資産を持つ高額所得者だ。彼等に近づくためのための搦め手として、稲穂を狙うという可能性も、高くはないがゼロではない。
「『わしら』なんて僕まで一緒にしないでほしいなあ。恨まれてるのは断じておじいさんだけなんだからさ。確かに僕も人様よりは少しばかり沢山のお金を持たせてもらっている身分だけど、僕は人様に胸を張っていえないようなことは何もしてないよ」
「……実の、しかもそう老い先長くない祖父を気遣おうという心はないのか?」
「明確に否定しないことで『人様に胸を張っていえないようなことをやっている』とほのめかす人にも、本当に血が繋がってれば多少は優しくなれると思うんだけどねえ」
「何を言う。三年前までわしとお前はれっきとした血の繋がっていたはず……ん?」
「そこそこ、言葉に詰まらない。大体繋がって『三年前まで繋がっていたはず』ってなんなのさ。血の繋がりってのはある時点で解消されたりはしないでしょうが。借金じゃないんだからさ」
「……八坂、今度市役所と病院と裁判所とわしのいとこの知り合いの友達がやっとるイタコさんに行ってみんか? ……お前には辛いことかもしれんが、やはり事実とは真正面から向かい合わねばならんじゃろ」
「……目が笑ってないよ、おじいさん」
 叩き合う軽口に、空気が幾らか軽くなる。こんな風に軽口を叩く二人は、間違いなく世界最強の親子だろう。今も週に一回鹿島も稽古をつけてもらっているのだが、それらの時もまったく勝てる気がしなかった。全く本気を見せていない状態で垣間見せるその実力の断片だけでも、逆立ちしても勝てないと思った。ちなみにこの道場は、鹿島達の地元にあり、刃が自己流護身術みたいなものを教えている場所である。
(それでも、今ならそこそこ戦える)
 右手の力を思うと、そう思う。その右手の力の全貌は分かっていないし、八坂の父が自分にその全力を見せたとは思えないが、今ならそこそこ戦えるのではなかろうか。
「ま、落着したわけでもないからな。こんなものを用意した。一応着ておくとよかろう」
 刃は傍らにあった紙袋から黒いシャツのようなものを取り出し、鹿島と稲穂にそれぞれ二着ずつ手渡す。
「これは?」
「『スーパーセラミックファイバー』とかいう素材の、要人護衛用防弾防刃服らしいぞ」
「そうなんですか」
 手にとりながら、触ってみて、外見と異なるその軽さにびっくりする。防弾防刃というくらいだからさぞ重いのかと思いきや、非常に柔らかく、軽い。厚さを除けば、普通の服と何の差もないほどだ。
「ま、着ていて損ということはなかろう」
「そうですね」
(しかし、ずいぶん冷静だな、俺)
 防弾防刃服を受け取りながら、思う。
 一度手にしてしまったら「善良な一般市民」の資格を永久剥奪される。そんなことすら思わされる用途で作成された「防弾防刃服」を手にしているのに、ひどく冷静だった。今日本に何人高校生がいるのか知らないが、こんなものが必要になる状況にいるの自分達くらいだろう。
 八坂はともかく自分はこんなことには慣れていない。昨日だって、一歩間違えれば死ぬことだって最悪ありえた。それを想像して、背筋が寒くならないといえば嘘になる。だが、狙われているのは自分ではなく稲穂だという認識が、恐怖よりも先に使命感を先立たせる。
(それに、この力がある)
 右拳に力を込める。さっき自分の部屋でやってのけたあれは単なる曲芸ではない。昨日見せた圧倒的戦闘力の一部なのだ。
「こんなもの、役に立つような状況が来なければ、それが一番じゃがな」
「まあ、そうですけどね」
 刃の言葉にこたえる間、鹿島は「防刃防弾服」を手の中でもてあそぶ。
「鹿島君、大丈夫?」
 「防弾防刃服」を鹿島が受け取ることの意味を察して、不安にじみ出ている。
「大丈夫だよ、心配するなって」
「でも………」
「こうして防御用の服まで用意してもらったんだ。大丈夫だよ」
「昨日の傷、まだ治ってないんじゃない?」
「大丈夫だって。このくらいやらせてくれよ。俺だって何かしたいんだ」
「うん。けど……」
 稲穂は黙り込む。
「これ、どこで手に入れてきたんです?」
 その稲穂の表情に耐えられなくなって、鹿島は刃に話を振った。
「公安の知り合いからじゃよ」
「そういえば以前、妙な服を着せた人形に思いきり打ち込んでくれって頼まれたけど、それがこれかい?」
 何かを思い出したみたいに、八坂。
「おう。それじゃそれじゃ」
「これ、『防刃防弾服』、だよな……?」
「そうみたいだよ」
「……これを着た人相手にも、全力で打ち込んだのか?」
「まさか、中身は機械だけだよ。人間に打ちこむなんて危険すぎるじゃないか」
「……開発、頑張るように伝えてくれ」
 なんで「まさか」なんだよ。とか月並みなことは言うことすら馬鹿らしい。 
(銃やナイフより、八坂の本気は威力があるってのか、おい?)
 呆れる一方で、それもありかな、という気もする。目の前の長身の親友こそは、「何でもあり」という言葉にふさわしい男なのだ。
「暑苦しいかもしれないけど、稲穂ちゃんも、着たほうがいいよ。万一があるからね」
「八坂君の分はないんですか?」
「サイズが合うのものがみつからなくてな。取り寄せ待ちなんじゃよ」
「そうなんですか」
 それ以外稲穂は何もいわない。八坂は「防刃防弾服」なしなのに、不安がりもしない。
 あまりも広い、信頼の差。
(……仕方ないよな)
 荒事に限らず全てにおいて、自分と八坂に対する信頼の差はここまで広がっている。
(次は、いつだ?)
 その差を埋めるためにも、次の襲撃が待ち遠しい。次の襲撃で埋められる八坂と自分の差は、決して小さいものではないだろう。
(……何考えるんだ、俺は!!!!!)
 あわてて頭を振る。稲穂を守りたいがために、稲穂を狙う襲撃の第二回を待ち望むなど、本末転倒の極みだ。そんなのは、意中の相手にいいところを見せたいがために、はした金でチンピラを雇って茶番を仕組むことと何も変わらない。
(なにをむちゃくちゃなことを考えてるんだ、俺は。俺がのぞんでいるのは――――)
<今度こそ、あの娘を手に入れる。それが、それだけがお前の望みだ>
「な――――――!!!!」
 気付いた時、鹿島は声を上げていた。あわせて元々静かな道場が、一気に張り詰める。
「……どうしたの、鹿島君?」
「今……だれかが……いや、何でもない」
 その時ようやく自分が立ち上がっていることに気がつき、鹿島はゆっくりと腰を下ろす。今の稲穂は、どんなささいな行動でも、不審な所があれば気遣わせてしまうだろう。
「………」
 案の定、突然昨日の背中の傷を案じる目を、稲穂が向けてくる。
「大丈夫だよ、ちょっと驚いただけさ」
「うん……」
 稲穂の目から、鹿島の身を気遣う光は全く消えない。それどころか、一層深くなる。
 そういう目で見られることが何より辛い。
「……面白いものを見せてやるよ。八坂、ちょっと頼まれてくれないか?」
 そのために、わざわざ道場で話しをしていたのだ。鹿島は勢いをつけて立ち上がった。
「わかった、ちょっと待ってて」
 事前に話を通してある八坂はすぐに了承して同情の倉庫へと消える。
あわせて道場の真ん中にいた稲穂と刃は壁際に動いてもらう。ややして八坂が、道場の奥からサンドバッグを一つ、軽々と抱えてきたのを確認して、稲穂に言う。
「よく見てろよ、稲穂」
「うん……」
 返事を聞いて、鹿島は半身立ちのまま目を閉じて右手に全身の力を流し込む。
(集中させろ!!!!!)
 今朝の、あの時のように。力を願え!!!!
(もっと強く!!!!)
 何かが右手を中心に広がる。音も色も一切ない、だが確かに存在する何かが。
「……ふう」
 上手く、前と同じように例の力を右手に宿らせることに成功した。
「話しは後でするから。よく見てろよ、稲穂。それじゃあ頼む、八坂」
「……それじゃ、いくよ」
 少しだけためらった後、八坂は傍らにあったサンドバッグを片手で軽く放り投げ、右足を一閃させた。
 鈍い音を立ててサンドバックが、鹿島めがけ突撃する。それを酷く緩慢なものに感じつつ、鹿島は右手を軽く突き出した。
 少しだけ、右手に鈍い手応えがする。それだけで、サンドバッグを鹿島は止めた。何かを断るときのように軽く右手を突き出すだけで、猛然と迫るサンドバッグを止めた。
「よっ」
 今度は軽い掛け声と共に、そのサンドバッグを軽く放り投げ、右拳を閃かせる。
 突き刺ささる音とサンドバッグが八坂の右手後方四m辺りに激突する音が続く。
 自分も八坂もあまりにも簡単に扱ってしままったため、実は偽物のような気すらしてしてしまうが、そんなことはない。板張りの床に叩きつけられた時の轟音からもわかるように、あのサンドバッグは間違いなく五〜六十キロ以上あることを、轟音が鹿島に確認させてくれた。
「説明できないけど、こういうことなんだ。何なのかはわからないけど、これのおかげで、俺はこんなことができるんだ」
 急な物音に思わず身を竦めている稲穂のほうを向き直り、八坂と稲穂に自分の右拳を向ける。紛れもなく発光する右拳を。
「やっぱり鹿島の手、光ってたんだね」
「気づいてたのか?」
「見えてはいたよ。でも改めて聞くころには消えてたから、気のせいかと思った」
「鹿島君、それ、何なの?」
 当然ながら、稲穂が目を丸くして尋ねる。
「詳しいことはわからない、けど、あの時俺は必死だった。力がほしい。強くなりたい。稲穂を守りたかった。八坂に任せっぱなしなんていやだった。俺は自分の手で稲穂を守りたかった。そのために、力がほしかった。そう思ってたら、こうなってた」
 最重要部分は、鹿島自身自覚せず省略していた。なぜ八坂に任せたくなかったか、自分の手で守りたかったか、という部分が。
 唖然としたままでいる稲穂に、重ね問う。
「……嫌か、こんな変種の蛍みたいなわけのわからない奴に守られるのは?」
 力を見せてからふと気付いた。八坂に負けない、稲穂を守れる力を手に入れたということが嬉しくて、その力を当の守られる相手がどう思うか全く考えていなかった。
 この力はよく八坂が飛び抜けた才能ゆえに「人間離れした」とか言われているのとは違う、本当に人間離れした力だ。恐れ、嫌われても仕方ない。
「……」
 稲穂は、何も答えない。
「……いやでなかったら、守らせてくれ。危険が去ったと確認できるまででいい」
 絶望と恐怖に心を塗り尽くされ、守るはずだった相手に救いを求めている。
「……」
「稲穂……」
 これで終わりなのか。何一つなし得ないまま、守るはずだった相手に恐れ、忌み嫌われて終わりなのか。
「どうなんだ、稲穂。嫌なら嫌でいい。何か返事をしてくれ……頼む」
「……ごめんなさい……」
 ようやく返事をした稲穂の目に、涙。何か、悲しい何かを湛える目。
「貴方がここまでしてくださっても、私は貴方に応えられない。命まで擲って私を守ってくださる貴方に、私は……」
 この先の言葉は、自分にとって都合のいいものではありえない。そうわかっていても、言葉に意識の全てが引き寄せられ、目を閉じることも、耳をふさぐこともままならない。
「私は貴方に……」
 ずん!!!!
「うわっ!!!!!!」
 急な物音に、思わず声を上げる。驚いた時口から心臓を飛び出させた漫画家は天才だ、とか、驚いた後「寿命が**年縮まった」とか言うのは単純に事実だ、とか思ってしまうほど鹿島は思いっきり驚いた。
 恐る恐る音のした方を見ると、何故か刃がサンドバッグを抱きかかえて座っている。
「……何してるんですか? サンドバッグに特別な思い入れでもあるんですか?」
 格闘技の師匠に、細い目を向ける。
 言われる刃は、あぐらをかきながら、太ももの上にサンドバッグをのせ、抱えている。
 鹿島が言うように、後生大事に抱えているように見えないこともない。
「いや、某猫型ロボットみたいに身体が少し地面から浮いてる気がしてな。宇宙までいかないよう重りが欲しかったんじゃよ」
「どうしてそうなるんですか……」
「どうしてって当然じゃろうが。全身青色であの体型だというのに猫型と言い張る未来から来た某ロボットは、地面から少しだけ浮いておる。だから足も拭かずに家の中に入れるんじゃ。今年七六才のワシすら知っているこんな常識中の常識を、鹿島は今まで気にならんかったちゅうんか?」
「……そこからは離れてください。どうしてで先生が空中に浮いてなきゃならないのか、俺が聞きたいのはそっちです」
 妙な脱力感にぐったりしつつ、結構本気で問い詰めるものの、八坂の祖父である刃をその程度で動じさせることは到底できない。
「『俺は自分の手で稲穂を守りたかった。そのために、力がほしかった』なんつうあまりにもくさすぎる台詞を聞いて、今ワシの歯はこれでもかっていうくらい浮いてるんじゃよ。だから、そのついでに身体も少しくらいは浮いとらんかな、と思ったりしてな」
「……そう、ですか?」
「じっくり聞いててやるから、もう一回繰り返してみたらどうじゃ? 自己鍛錬の汗ならともかく、男女の修羅場で流される涙や、男と女が二人して流す汗で濡らされるのはたまらん。そういうのは余所でやっとくれ。ついでに言えば、当事者二人っきりのときな。そう思わんか、稲穂ちゃん?」
「え……あれ……私………?」
 呆然として、稲穂は辺りを見回した後、ふと気がついて目をこすった。
「……私、泣いてたの?」
「泣いてることも気付かんほど嬉しかったのか? 男冥利に尽きるのう、鹿島」
「……俺は稲穂を守っていいのか? 嫌なら嫌だといってくれ」
「……ううん、そんなことないよ。ただ……、気をつけてね」
 相変わらず表情は釈然としていない。この「そんなことない」を、「守ってくれて嬉しい」と解釈するのは到底無理だろう。
 だが、ともかく許可はもらえて安堵する。安堵した矢先、別の茶々が入ってきた。
「そう言えば僕も体が軽くなってきた気がするなあ。サンドバッグもってくるから、もう一度やりなおすならちょっと待っててくれないかい。落ち着いて見学したいからさ」
「…………」(×二)
 少しして、八坂が道場奥から、サンドバッグを軽々と抱えて戻ってくる。
「お待たせ。さあ遠慮なくどうぞ。この先行くところまで行くのか、僕としては大いに興味があるね」
「小説のネタに使えそうか?」
「まあね。我ながら、いつでも取材を忘れない勤勉さだと思うよ」
 なまじ冷静になってしまった鹿島と稲穂は、しばらく真っ赤なまま硬直していた。
 面白そうに自分達を眺めていた八坂が、一息つくと、サンドバッグを脇に置き、表情から微笑の占める割合を幾らか小さくする。
「ま、そういう話は一旦置くとして、これから稲穂ちゃんはどうする? まだことが終わってない以上、何かしらの対策はしておいた方がいいと思うんだ。さしあたって、自宅に護衛をつけるとかね」
「そうだな」
 当面の攻撃を撃退したというだけで、相手の狙いも、稲穂をさらうことで達成しようとしている目的も全く不明のままだ。警戒を解くわけには当然いかない。
「家族皆でおじいさんの家にでも来てもらえれば一番いいとは思うんだけど、下手にそれをやると、逆にマスコミがやかましくなりそうだしねえ」
 刃の邸宅は警備会社と契約しているため保安も万全だし、交番との距離も近いし、何より刃が常にいる。
 刃の邸宅は、殴りこみ先として並の暴力団事務所より数段危険で、避難先として交番よりもはるかに安全である。
 三年ほど前押し込み強盗が入ったとき、たまたま八坂が遊びに来ていたのは、彼らにとって不幸以外の何物でもなかったろう。強盗達五人全員が全治一ヶ月の重傷を負わされて警察に突き出されて以来、それは冗談二割五分で語られる現実だった。
 単純に安全面を考えるなら、これほど安全な場所もない。だが、昨日の事件も既に一部マスコミの知るところとなっている。刃が口をきいたというか圧力をかけた結果、今のところ報道内容は「撮影帰りに人気アイドルの櫛田稲穂が、ケンカに巻き込まれかけた」となっているため、特に問題は起こっていない。だがこの先も過剰な警戒を続ければ、またマスコミの注意を引くことになることは明らかだ。
「さて、どうしたものかな」
「じゃあ稲穂はホテルかどこかにいてもらおう。それとは別に稲穂の家にも護衛をつけるってのはどうだ? 稲穂の護衛をする人は、稲穂の部屋の隣にでも部屋を取る。元々稲穂は毎日忙しいんだから、しばらく家に帰らなくたって、おかしいことはないだろ?」
「うん、それくらいなら……」
「それいいね。他にも何人かつけるとして、じゃあ役割分担は鹿島が稲穂ちゃんの家で、僕は稲穂ちゃんのいるホテルかな」
「え……? どうしてだ!?」
 聞く声が剣幕を帯びる。「なんで八坂がそんないい役目を取るんだ?」と危うく口まで出かけた言葉を、何とか飲みこむ。
「まず第一は、鹿島のおじさんやおばさんをあんまり心配させたくないからだよ。ホテルにとまりこんだりしたらごまかしようがないけど、稲穂ちゃんの家なら、鹿島の家からでも見回りできるだろう? あとは、僕は原稿のために何度かホテルに缶詰されたことがあって、ホテル生活にも多少は慣れてるからかな」
「……」
 あまりの正論に、鹿島は返す言葉がない。
 右手に宿る力が八坂と同等かそれ以上の戦闘能力をもたらしてくれるとしても、それ以外の面全てで鹿島は八坂に負けている。鹿島の両親は、普通のサラリーマンと近くのスーパーでパートをやる兼業主婦だ。親族全体を見渡しても、刃のように今の状況で力になれそうなものなど一人もいない。今の事情を話したところで、不安を募らせるくらいだろう。
「けどどうしてもっていうなら変わるかい? それなら、お金は先に渡しておくよ」
 鹿島は有無言わさず黙らされてしまった。
 稲穂が身を守るためという目的があるのだから、それなりにしっかりしたホテルでなければ意味がない。そこでの滞在が長期に渡れば、十万二十万の金が必要になってくる。
 その金を鹿島は捻出できない。十万は、普通の高校生がだせといわれて簡単にだすことなどとてもできない額だ。だが、目の前にいる同性の幼馴染は、あらゆる意味で普通ではない。今すぐにでも札束の一つや二つは簡単に用意できる。
「おじいさんの家にとまるっていうところも含めて、稲穂ちゃんは何か希望あるかい?」
「私は……」
 不安げな瞳で、鹿島を見る稲穂。
「どうする、鹿島?」
「いや、俺は止めておくよ。父さんや母さんを不安にさせるわけにもいかないからな」
 そういうしかない。必要な費用すら自力で用意できず、何が「お前は俺が守る」か。
「ホテルの方は頼むぞ。八坂」
 鹿島は、改めて自分の無力さを思い知らされていた。

 

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