56

 周りの全てが白に包まれ、消えた後には、病院の屋上ではなく草原が広がっている。
 夢の中でスサノオやタケミカヅチが何度か使っていた力を、今二人も使った。いわゆる瞬間移動で二人はここ関東山地中部、地図で言うなら東京と埼玉の県境辺りまでやってきた。
 関東山地に特別の意味はない。意識を広げて検索した結果、戦いの余波が及ばない人里離れた場所で、あの病院から一番近いのがここに思えただけのことだ。
「来ると思うか?」
「来ないわけにはいかないでしょ」
 さっき打ち上げた号砲には、「俺達を今日中に殺さない限り、稲穂は魂ごと完全に消滅する。それが嫌なら今すぐ指定の場所までこい」というメッセージが込められていた。
 そんなことを話していると、二人並んで見ているその方向、前方十m辺りの空気が歪む。
 写りの悪い写真さながらのぼやけは、やがて人の形へ変化する。
 ゆっくりとそれは実体化していき、完全な三次元世界の存在となった。
 古墳時代のような服装をした、三〜四十歳くらいのがっしりとした体格の男にみえる。
 だが、今その外見に感じるものは何もない。
 放つ気配があまりにも明確過ぎた。
 彼は、それは、敵。鹿島は一時自分の内に宿していたから、八坂はかつてスサノオが戦った記憶から、そうはっきりと確認できる。
 目で見る限り、どこまでも人間の姿形を保つそれは、人間ではない。
 夜とはいえ月明かり照らす下、微かとて影が見えないのはその証明の一つだ。
 スサノオによって擬似的に封印されただけの、ヤマタノオロチの一首、シダイ。
 ただそこにシダイがいるだけで、いいようのないゆがんだ空気が周囲を満たし始める。すでにシダイがたたずむその足下にある雑草が、命を奪われ、枯れはじめている。
 鼻が曲がるような悪臭や、神経を逆なでするような雑音を放っているというわけでもない。それなのにただそこにいるだけで、鹿島たちはいいようのない嫌悪感を受ける。
 それも当然で、シダイ達と高天原はこの世界のあり方を巡って争った。その結果破れてシダイ達は悪神や妖怪になったのだ。
 だから、今高天原の神々が作り出すこの世界で清浄と呼ばれているものは、シダイ達にとって毒で、鹿島達が毒とか呼んでいるものがシダイには清浄なのである。
 海水中で生きていけない淡水魚がいて、淡水中で生きられない海水魚がいる。シダイ達と鹿島達の関係も基本はこれと変わらない。この清浄な草原の空気も、多分シダイには吐き気がする汚毒なのだろう。それは立場の違いだ。一方を基準に他方をいい悪いといっても無意味なことは、鹿島も頭では良くわかっている。
「随分人間らしく化けたな。化物ならもうすこし化物らしい姿で出てこいよ」
 だが、鹿島は露骨な嫌悪感を隠そうともせず吐き捨てる。こいつが行動の自由を持っている限り、稲穂は自由でいられないのだ。それだけで、全てを憎むに十分足りる。
「ふん、自分達でこの場に呼びつけておいて、好き勝手いうものだな」
 声なのか、頭に響くものなのか、それすらはっきりしないシダイの言葉。
 だがほとんど自暴自棄に近い策略で、自分の優位を根こそぎ奪われたことや、このような緑溢れる汚猥な空間に呼び出された不快感が混ざって、明らかに憎憎しげな口調だ。
「わざわざ来てやったぞ。貴様らの下らん意地に付き合ってやるためにな」
「黙りなよ。僕達もこれ以上君なんかに時間を使いたくないからね。さっさと封印させてもらうよ」
「あの娘を、クシナダを見殺しにすれば、お前達は多少長生きできたものを」
 圧倒的実力差を確信して、シダイは嘲笑う。
 クシナダの魂が封印解除のために使用され、莫大なエネルギーを一身に浴び鹿島と八坂は、その記憶と能力を取り戻している。稲穂を包み込んだ結界や、ここまできた手段などはその能力の一部なのだが、その力を全て、というわけにもいかなかったようだ。
 人間の肉体という器は、神の力全てを受け入れるにはあまりにも小さく、脆い。目の前の敵が二人ではなく二十人、いや百人だったとしても、自分の相手ではない。シダイの表情がそう嘲笑っている。
「確かに貴様等の自暴自棄で、我はまだ往時の力をほとんど取り戻せていない。だが、それでも貴様等ごとき人間に遅れを取るほど落ちぶれてはおらん。クシナダを見捨てて逃げれば多少は長生きできたものを。一時の感情に流された己の愚かさをせいぜい呪え」
「僕としても、君がどこで何してようが、僕たちに関わってこなければ知ったことじゃないよ。けど、君はほっとくと世界を僕達には非常にすみづらい世界を作りかえてしまう。そうなると今時中学生でもやらないような恋愛をしている鹿島と稲穂ちゃんをからかって僕が遊べない。それは大いに困る。だから、僕は君の存在を許してはおけないんだよ」
「……」
 少々気になる部分もあるが、概ね大体基本的には同意見のため黙す鹿島の傍らで、八坂は続ける。
「更に言うと、実は僕も本気で殺す気の攻撃を二回も向けられて、実際あばらを二本ほどやられたんだけど、それは駅前で配ってる消費者金融のティッシュが一顧だにされないのと同じくらい見事に忘れられている事へのやるせない怒りと寂しさを、八つ当たりで全く無関係な君へぶつけようなんて他意は一切ないんだ。戦う前に、そこのところだけは誤解しないでほしいといっておこうか」
「……」
 冷や汗を二筋ほどたらし、鹿島は黙り込む。
 そんなそぶりは微塵も見せないが、八坂こそ鹿島に殺されかけているのだ。それで死ななかったのは八坂だからであって、普通の人間なら確実に死んでいる。
 余計な気を使わせないよう八坂が何事もなかったような態度をとってくれること、稲穂が気にかかるということもあって、鹿島は確かにすっかり忘れていた。
「ちなみに僕は今何だか凄くおなかがすいていて、君を片づけた後はゆっくりおいしいものでも食べたいなあ、なんて考えていると思うかい? 馬鹿にしないでほしいね」
「わかった。俺が悪かった……なんでもいいから好きに食べてくれ」
「……どうして今僕が考えていることがわかるんだい、鹿島!?」
「最近、大阪の友達ができたんだ」
「これが本場のボケとツッコミ……もとい、人間が育む本当の友情というものさ。もう一度封印される前に覚えておくんだね。その怪物の頭で理解できればの話だけどさ」
「一度お前の辞書の「友情」って項目を調べてみたい気がするよ、俺は」
 鹿島がぼやくも、シダイは何ら反応しない。
「うけないねぇ」
「人間のノリは通じないんじゃないのか?」
 世界の命運すらかけた戦いが、一気に茶番へ堕するを危険を、確実に鹿島は感じた。
(実際茶番だな)
 シダイにしてみれば、鹿島など完全復活のための道具でしかなく、高天原から見れば鹿島などタケミカヅチという巨岩に掘り込まれた傷跡程度の存在でしかないのだろう。
(でも、俺にも守りたいものがある)
 許してくれた友がいる。
 負けられない。自分が自分であるために。
 そのために、俺は戦う。深呼吸して、肩を上下させる。
 何となく、気が楽になった。
「平常心だよ。力んだら、普段できることまでできなくなるからね」
「わかってるよ」
 答えてから、ふと思う。
(ひょっとしてリラックスさせるために、あんなこといったのか?)
 半分はネタでも、残りの半分くらいはそうかもしれない。本当に、何から何まで八坂は凄い。 
「それじゃ、そろそろはじめようか」
「メシも確保できたしな、お前は」
「作ってくれる人がいない人間としては、こうやって確保しないとね。まあ、この程度にからかわれるのは我慢してもらわないと」
「……早々に死んでもらおうか」
 少しいらついたようにシダイが言うと、その身体が一瞬ぶれる。
 そして、周辺の空気が集い、実体化した。
 人間らしき形が一つ。獣らしき形が無数。
 一瞬で包囲された。予想した通りだ。
「頑張りなよ、鹿島」
「悪いな」
 鹿島は地面を蹴り、それだけで十m以上あったシダイとの距離を詰める。
 その間に、右手に意識を集中させる。力が形となって鹿島の右手に集う。
 形状自体は、道場で手にしていたものと同じ、三m近い長さの長剣。
 ただ、持ち主の心理状態を象徴するがごとく、放つ光に濁りはない。鋭く、清冽な烈光。
 タケミカヅチが所有していた、タケミカヅチ自身とも言われる神剣、布都御魂。
「くらえっ!!!!」
 その神剣を、シダイめがけて打ち下ろす。
「ふん……」
 その攻撃を、シダイは受け止める。目に見えないエネルギーの壁で。
「な………!!!!」
 突如生まれた予想外の光にシダイは飲み込まれる。そのあと草原に二人の姿はない。
「頑張りなよ、鹿島」
 もう一度、それだけを言う。効率だけ考えるなら、自分がシダイと戦うべきなのだろう。だが、全てを決着させたいという意思を尊重し、鹿島にシダイを任せた。
「何考えてるの、君?」
 こちらはシダイとは異なる現代人の服装、オーバーオールを着た、白髪の少年。
「あの人と君じゃ、どう見たって君のほうが力は上だってのに。わからないなあ」
「君が考える必要はないよ。僕が聞きたいことはただ一つ、君はシダイの何なんだい?」
「前はあの人の一部だったよ。自分が動き回れなかったから、人間の死体を素材に僕を仮に作り、動かしていたってことかな」
「今もかい?」
「感じてる通りだよ。あの人が自由になった際に、僕もあの人から独立した存在になったんだ」
「そうかい、ありがとう」
「疑問がなくなったならさっさと死んでよ。結界張った以上はね」
 「ね」といい終わると同時に、今日の夕方道場にも現れた獣五匹が迫る。根の堅州国、日本神話における死者の世界に住むという怪物、ライジュウが。
 ライジュウ、雷の獣。日本の神話における死後の世界、根の堅州国に住む獣。
 前道場で見たときと違い、毛の所々が逆立ち、時折火花を放っているライジュウが、八坂に覆い被さろうとして、空中停止する。
 一瞬ライジュウの重なり覆い被さる隙間から光が迸ったかと思うと、そのまま光は突風となって非礼な獣を吹き飛ばし、蒸発させた。
 だが八坂の攻撃で倒されのではない。ただ単に移動しただけだろう。間を置かず少年の周囲で同数が再度実体化している。
「へえ、そのくらいはできるんだ」
 八坂が右手に収める剣を見て、いう。
 刃渡り八十p程の、やはり剣の意匠をしている剣は、自分がシダイの一部であったこともあり、はっきりと覚えている。
 その意味を「武器自体」とするなら、紛れもない日本初の龍(蛇)殺しの剣。神剣 十握剣。
 スサノオがシダイを倒した剣。
 シダイの一部としてスサノオに倒された時の記憶は、少年に嫌悪感を催させる。
 だが、持ち主はスサノオではなく八坂だ。
「いつまで、神剣の力に耐えられるかな?」
 今度は八匹。
「ふっ!!!!」
 前後左右から迫るうちの一匹に対して神剣を振りぬくと、水が槍となり貫く。海神スサノオを象徴する、海と水を司る神剣の力だ。
 一匹を倒した八坂は、その方向にそのまま突っ込んで、残り七匹の攻撃をやり過ごす。
 その動きを見て、少年はいよいよ有利を確信した。
「あばらがまだ治ってない?」
 神の力が覚醒しかけているのに、以前の人間だった時を比べてさえ、動きに鋭さがない。
「このまま神剣の力で自滅するのを待ってもいいんだけど、それじゃあつまらないから、嬲り殺しにさせてもらうよ」
 勝利の嘲笑に、八坂は答えなかった。



 一方八坂達の戦いの現場から一キロほど離れた場所。丈の短い草が茂り、山々を含め見渡すものは全て自然物という空間に、いきなり光が出現した。
 その後には、二人の人影がある。一方が跳びかかって斬りつけるという状況のままこの空間に出現した。
 鹿島の布都御魂はいまだ、シダイの頭三十pほどの所で、何かと激突しそれよりも先に進まない。その何かが、膨張する。
「!!!」
 危険を感じねじ込もうとしていた全体重を、逆に神剣と何かを支点として、後ろに飛ばさせる。
 拡散の後、力は収束して、剣の形をとった。
「……普通あれは、俺達の力になってくれるはずなんだけどな」
 跳んだ先十mほど離れた所から、シダイの手に収まるそれを見て、ぼやく。
 刃渡り八十pほどで、やはり「刀」ではなく「剣」の形状をしたそれは、日本でもっとも有名な「剣」ではなかろうか。
 今の鹿島はそれが何であるか知っている。ヤマトタケルが草を薙ぎ払って火攻めを逃れたことからその名がついたという「天皇家三種の神器」の一つ、草薙の剣だ。
 本来神剣中の神剣であるはずのものが、今凄まじいまでに禍禍しい気配を放って、鹿島の目の前にある。
「……考えてみれば当然か」
 草薙の剣は、スサノオが倒したヤマタノオロチの腹から取り出した、という説話は間違っていない。草薙の剣は、ヤマタノオロチの八つ首の結節点にあった物質を剣状に加工したものだ。ヤマタノオロチ経由で一体化している地殻地脈を観測し、一部制御・利用するための道具だと、今の鹿島は知っている。
 三種の神器の残り二つは、この草薙の剣を正しく制御するための補助具なのだが、シダイにそんな制御はまったく必要ないので、熱田神宮から剣だけ取ってきたのだろう。
 ちなみに草薙の剣が宮廷、つまり各時代の皇居にあったことは、今も含めてほとんどない。一貫して熱田神宮に保管されている。皇居にも草薙の剣はあるが、それは形代というご神体(ここでは草薙の剣)の複製品である。
「何にせよ広く神剣だと信じられていたものが、実は邪剣中の邪剣だったわけか。誰だか知らないけど事実は小説より奇なりとはよくいったよ」
「何を考えている? お前一人で本当に我に勝てると思ったか?」
「勝てる勝てないじゃない、勝つんだ。お前は俺だ。今俺はお前を倒して、今日までの俺を乗り越える」
 決然と言い返す。
「気が触れたか? あんなものはお前を追い詰め、操るための方便にすぎん」
「それでも俺にとってお前は俺なんだ」
 もし以前に鹿島が稲穂に思いを打ち明けていたらこの悲劇はなかった、とは思えない。逆に既に思いを打ち明け答えられていたら、全てを持つ親友が稲穂を奪ってしまう恐怖は、一層膨張していたのではないか。
 結果として稲穂の心の中に鹿島はいた。だが稲穂が誰を思うかは稲穂の自由であるはずなのに、あの時鹿島はそれを認められなかった。その弱さと決別しない限り、いずれまた疑心暗鬼は頭をもたげるだろう。
「ある意味、お前には感謝してる」
 自分の弱さと真っ正面からむかいあうきっかけを作ってくれた。自分の弱さや汚さを強烈に抉りだし、突きつけてくれた。
 つい六時間ほど前まで自分の中にいた目の前のシダイは、自分の中にあった弱さなどの具現化した存在だといってもいい。それを、今乗り越える。
「お前の言う通りだ。お前が我をどう見ているかなどどうでもいい。我にとって、お前は用済みの道具に過ぎん。時間はあまりない。さっさと死ね」
 そのまま距離を詰めつつ負の、白いのに暗い光を帯びた剣を振りかぶる。
(よく見ろ!! 自分の力を信じろ!!)
「…………あれ?」
 急に、シダイが縮んだ。そうとしか思えないほどの速度で、鹿島は移動していた。十五m以上向こうで、シダイが今草薙の剣を振り下ろしところだ。
 これこそ、タケミカヅチの力。この雷光の動きがったから、召還されかかるクシナダまで一瞬で駆け寄れたのだ。
(いける!!!)
 その動きを思い出して、更に意識を集中させ、シダイとの間を詰めようとする。
 地面を、蹴る。
 全身を、痺れる何かが走った。エネルギー体のシダイと接触したことが原因でだ。痺れ自体が微々たる物であったこともあったが、それよりもなお驚いたのは、今自分がしたことに対してだ。
 シダイに頭突きをかました自分に、鹿島は心底驚いていた。
 二mほどシダイを吹き飛ばしてから、両膝ついていた自分もようやく立ちあがる。
 互いに無言のまま、にらみ合う。
 今の行動はシダイにも予想外であったらしい。速さ自体も予想外であったが、速度以上に殺気も敵意もないその行動が、反応を遅らせた。
 高い技量の持ち主ほど、相手の気配まで読んで戦う。特に敵意や殺気は敵の動きを図る重要な要素なのだが、鹿島自身にすら予想できなかった疾風迅雷な動きは、シダイにしてみればなお反応ができなかった。
 両者はゆっくりと構えをとる。
「自分の力すらまともに制御できん出来損ないだったとはな」
「だったら、さっさと片付けてみろよ」
 言いながら、鹿島は神剣を正眼に構える。
 その目に、迷いはない。



「くっ!!!!!」
 絶え間なく、ライジュウは襲いかかる。前後左右上、下以外のあらゆる方向から。
「せえっ!!!!!」
 真縦に撃ち下ろす一撃が水の刃を生み出し、左から迫る二匹を蒸発させ、そのままその方向へ移動し、残りの六匹を全て視界に入れる。 
 突き出した神剣のない左手から鉄砲水が生まれ、六匹を瞬間で溶かすが、八坂が少年を見るとき、既に計八匹は復活していた。
「そろそろきついんじゃない?」
 二十匹以上のライジュウに囲まれたまま、少年が揶揄する。ライジュウとの戦いをはじめてから既に十五分、少年はライジュウで一方的な攻撃を続けており、八坂は彼を攻撃の標的にすることすらできずにいた。
「息も上がってきているみたいだしね」
「……」
 攻撃を身体に受けてはいないものの、十五分前に比べて動きは鈍くなっており、息も上がってきている。それは八坂も自覚している.
 だがそれは、波状攻撃のためではなかった。
(いい加減、大人しくしてくれないかな?)
(お前こそいい加減身体を渡せ!!! 奴は俺がぶっ殺すんだ!!!!)
 自分の意識の中で、自分の声が自分のものではない乱暴な言葉使いで叫ぶ。
(奴を倒すのは鹿島の役目だよ。君に譲るわけにはいかないんだ)
(黙れ!!!!)
 叫ぶ都度、全身に自分以外の誰かの意識が走り、消耗を強いる。戦いをはじめた直後から、スサノオがより覚醒しはじめ、八坂の意識を圧しようと暴れている。
(畜生、いい加減身体を渡せ!!)
 迫るライジュウをしのぎながら、八坂はさらにスサノオと意識下で対話する。
(もし君は、シダイを倒したら、その後はどうするんだい?)
(決まってるだろ、クシナダと一緒に高天原へ帰るんだ!!!! そのための方法も、きちんと用意してある!!!!)
(そうなったら、稲穂ちゃんは?)
(……意識として死ぬことはない。ただ意識の大きさが違いすぎる。一度クシナダの意識に圧倒されたら、もう出てこれることはない……だろうな)
(それじゃあ稲穂ちゃんの意識は、死ぬのと同じだよ。君に身体は渡せない)
(関係あるか!!!!)
 スサノオが暴れ、八坂に負担を強いる。
(クシナダは、稲穂ちゃんに「あなたはあなたの愛する人を愛して下さい」と言ったんだ。その彼女の思いを踏みにじるのかい?)
(……)
(君にもクシナダがいるように、僕にも守りたいひとがいる。譲るつもりはないよ)
 それがクシナダではなく、鹿島と稲穂。
 実の所スサノオと八坂の違いはそれだけだ。 
 別に八坂からしてみれば、稲穂と鹿島が想いあっていることなど、確認するまでもないことだった。稲穂が八坂とどれほど親しげにしようと、常に稲穂の心には鹿島がいる。
 そうわかっている一方、自分は他人に嫉妬の炎を燃えさせ、大抵の場合は盛大過ぎて消し炭も残さず燃え尽きてしまうほど圧倒的な才能の持つともわかっていたのに、鹿島には何もいおうとしなかった。
(僕は、甘えていたかもしれない)
 他人なら潔く諦めることができても、物心ついたころから常に身近にいる鹿島だからこそ諦めきれない。
「鹿島、たぶん君は僕に生涯及ばない。鹿島だけじゃない。僕は特別なんだ。けど、重要なのは誰かとの比較で導き出される結果じゃなく、自分自身への誇りなんだよ」
 一時疎まれることになっても、いわなければならないことだと薄々気づいていた。なのに思考停止した。自分が鹿島に妬まれているなど考えたくなかった。長い付き合いなんだし、そのくらいわかってくれたってという甘えがあった。それが鹿島を追い詰める一因になっただろうこと、もう間違いない。
(君とクシナダにはまだまだ時間がある。せいぜい長くて百年位、別人格が君以外の誰かを好きになってって構わないだろう?)
 人は、変わらずにはいられない。何も変わらない人間などありえない。
 だが、人は自ら変わる方向を定めることができる。「今の自分であり続ける」というものもふくめ、変わりたい自分を探し、そのために努力することはできる。
 八坂はそれを怠った。何もせず今のままでいたいと、都合のいいことを願った。
 鹿島に戦いを任せること、それは八坂がこれからの変わりゆく現実を、受け入れるために必要なことなのだ。彼らと別れるためではない。これからの、三人の未来を作り出すために。
(そういうことだから、大人しくしててよ)
(うるせえ!!!)
(……手荒なことは嫌なんだけどね)
(な!!!!!!)
「な………」
 自分の内と外で、驚愕の声がする。
 どう……して……
 外で少年が、中でスサノオがうめく。八坂が劇的な変質を遂げたことを察して。
「殺しちゃえっ!!!!!」
 妙な不安感をぬぐい払うために叫ぶと、 三十七匹いるうちの二十五匹が、互いの衝突など意に介さず八坂に迫る。
 その考えは、正解であり間違いでもあった。
 嬲らず全力で攻撃し、一気に勝負を決める。その考え方は極めて正しい。ただし、その手段で絶望的なまでに間違っている。まかり間違っても、ライジュウ二十五匹ごときで挑みかかっていい相手ではなかった。
 迫るライジュウを見ながら、更に問う。
(もう一度きこうか。クシナダは、「あなたはあなたの心の中にいる人を愛してください」といったんだ。それを君は聞いてなかったのかい?)
(聞いてたさ。お前が悪趣味に会話を盗み聞きしてたからな)
(……なら分かるだろう? クシナダは、一度生まれた櫛田稲穂って人格を押しつぶしてまで出てこようとは思っていないんだよ)
 クシナダを漢字に直すと「櫛名田」あるいは「奇稲田」。どちらにも「田」が入っているように、稲の実りと豊穣を司る女神だ。
 命を司る女神の一員が、一度生まれた命を無意味に踏みつぶすはずがない。
 ちなみにタケミカヅチは「建御雷」。スサノオは「須佐之男」。タケミカヅチは文字通り。スサノオは「すさ」という音に、「荒ぶる海の様」という意味がある。
(クシナダは君が考えを一方的に押しつける相手にすぎないのかい? 愛している相手が何を望むかすら分からないのかい?)
(わかったよ、勝手にしろ!!!!!)
「じゃあこっちは好きにやらせてもらうよ」
 八坂の全身を白光が覆う。
(どうして………こんなことが……)
 八坂の意思が、スサノオを拘束する。
 スサノオの意思を無視して、スサノオが持つ力が外部に解放されようとしている。
 スサノオは、言うほど出たがっていない。 クシナダは「稲穂」を尊重する。ならば、その幼馴染である八坂がスサノオに圧倒されて消滅してしまうことも、同様に望まない。
 八坂にいわれる以前からそのことに気がついて、実際には「出る」ことに迷いがあるスサノオと、自分のためにも絶対屈するわけにはいかない八坂では覚悟が違う。
 そうだとしても、自分と根を同じくする存在だとしても、紛れもない神のスサノオを逆に圧倒すらしつつあるのは、八坂が心においても底知らずに強いことの証明だろう。
「少しばかり僕は気が立ってるんだ。知らないのかい? 最近じゃあ日々の修練よりも怒りを爆発させたほうが強くなれるんだよ。君達とは時代が違うのさ」
(そんな理由でできてたまるかぁ!!)
 光って一切の陰影を失い、二次元平面上の存在となった八坂は、そのまま一本の光の柱を作り出して天を突き抜ける。
 まだ、ライジュウ達は飛びかかろうとしているところだ。
 そして、洪水。柱の容積と釣り合わない量の水が怒濤の勢いで流れ出、ライジュウの群れを一瞬で融解させ、少年にも覆いかぶさる。
「うわあああっっっっ!!!!」
 少年は、逃げようともせず、ただ叫んだ。
 叫べただけでも、たいしたものだろう。突如眼前に波高百m級の津波兼洪水兼鉄砲水が出現して、呆然と立ちすくむ以外のことが彼はできたのだから。
「!!!!!!!!!!」
 全身を浸す、押しながす、溶かす感覚に対して、必死に抵抗する。
 歯を食いしばっているのは、口を開ければたちまちそこから海水が浸入し、人間ではない自分すら簡単に溺死させる、と分かっているからではない。単純に恐怖心と本能が命じるままに、彼は歯を食いしばっていた。そのまま、どのくらい時が流れたか。
(終わっ………た?)
 何が、自分が終結してしまったことへの疑問もまま含まれる問いと共に目を開く。
「う………そ………」
 目を見開いたときある光景は、何も変わっていなかった。山あいの草原だ。通り雨の跡さえない。津波洪水鉄砲水がこの場で起こったなどと言い張れば、問答無用で間違いなく眼科か精神系専門医院へ強制連行されるだろう。そんな穏やかな草原だけがある。
「そん………な………」
 ただ、少年が驚いているのは、目に見えるものに対してではなかった。
「どうして……」
 辺り一面を、八坂の力が覆いつくしている。自身が倒されない限り無限に復活するはずのライジュウ達が、八坂の力で地面の下に封じ込められている。
「どうして、人間にこんな力が………」
「そんなこと、どうでもいいよ」
 言いながら、八坂は少年に近づく。
「あんまりあっさり君を殺したら、僕の気が済まないからね。優越感の極みにまで達させてから、それを粉々に打ち砕いた後、絶望の奥底にたたき落として、一番苦しむように殺してあげようと思ったんだ。もう一つ、この力の使い方に慣れる時間がほしかったっていう事情もあったけどね」
「あ………あ………」
(やな奴だな、お前………)
 穏やかな顔のままとんでもないことを言う八坂に、スサノオが中からぼやく。
 もっとも、今少年を圧しているのは、全身から発される八坂の怒りそのもので、言葉の内容はなんでもよかった。逆に「毎度おなじみのチリ紙交換でございます」とか言えば、別の意味で怖さ倍増かもしれない。
 何にせよ、確実な死がそこにある。
 目に見えなくても、はっきりわかる。磨き抜かれれば、殺意はここまで美しい。
 かつて古代の人間がいけにえをささげたのも当然と思うほどの、ただ跪き、慈悲を請うしかない、全てを打ち砕く荒ぶる海の力。
 命を育む優しさはない。あるのは海が自らを汚すものを決して許さないように、友を害するものを決して許さない裁断の意思だけ。
「言い残すことは?」
「うわああぁぁぁぁ!!!!!!!!!」
 少年は飛びかかる。逃げることはできない。逃げれば無防備な背中を一撃して抵抗力を奪った後、最も苦しむように殺される。
 生き残る活路は、八坂の向こうにしかなかった。どれほど望みの薄い賭けだとしても。
「あ……がっ!!!」
 あと八坂まで三十pに迫っていた自分の手は、不意に二m以上上方向に引き離された。草原から突き出る水の槍が、少年の腹を貫き、ダイビング姿勢のまま固定している。
「が……」
「目一杯苦しんでよ」
 その言葉が、無の空間に水の槍を作り出し、槍ごと自分を斜め下方向に貫く。そう理解したときは既に別の槍で貫かれ、また別の方向へ移動していた。
(お願いだ、止めて!!!!!)
 叫ぶことすらできない。自覚はないが既に二百以上の槍に貫かれ、百m以上の距離を強制的に移動させられる。
 全ての槍が、突き刺さった後、全身に拡散して、少年の意識と踏みにじる。あえて自分が死なないよう、最も自分が苦しむよう威力を加減していることがはっきりわかる。
 一瞬、痛みが消えた。
(もう………????)
 希望を込めてそう思ったその瞬間。
「あぐっ!!!!!!」
 希望を持たせるだけの間を作った後、あらゆる方向より貫く水の槍が、自分はまだ生きてなければならないことを教える。
 その直後、眩みかけた視界に人影。
 右手に剣を振りかぶるその姿は、死という名の安息そのものだった。
「さよなら」
 上空二十mほどで、自分が水の槍ごと両断された、などという些末な事実には一切の心を向けず、少年は水の槍ともども蒸発しながら、優しく暖かな死の抱擁を受け入れた。
 着地した八坂の方では、もう少年の存在になど微塵の関心もない。
「今行くよ、鹿島」
 語尾は、閃光に包まれた。



 少しだけ時を遡って、鹿島。
「くっ!!!!!」
 相変わらず、戦いは続いている。
 鹿島としては、そう思いたいところだろう。これはまともな戦いだ、と。
 タケミカヅチの力の一つ、雷光の動きが使用できるようになったまではよかった。
(速く!!!!)
 思いながら地面を蹴ると、十数m以上あったシダイとの距離はもうゼロになっている。
(振りかぶれ!!!!!!!)
 思ったとき、神剣と邪剣は激突している。
「下らん!!!!!!!」
(逃げろ!!!!!!)
 思って、地面を蹴ったとき、既にシダイとの距離は一五m以上離れている。
 万事がこんな具合。タケミカヅチの覚醒つつある力に、鹿島の意識と感覚と身体が全くついていかない。
「ぉおおっ!!」
 シダイは鹿島との距離をつめる。
 速度自体は鹿島よりやや遅い。だが意識と見事に調和したその速さは、殺意とあいまって鹿島の足を、意識をとらえる。
(かわせ!!!!!!)
 頭はサイドステップで一m程動いてかわしているつもりなのだが、実際には五m以上離れてしまう。非常識な長さの布都御魂をもってしても、届かない距離だ。
(もう一度―――)
 再びシダイとの距離をつめようとしたときには、向こうも距離をつめて、目の前で草薙の剣をなぎ払おうとするシダイがいる。
(ちっ!!!!!!)
 こげる音は、負の光を帯びた草薙の剣が鹿島の胸をかすめ、焼いたためのもの。そう理解できたのは、再びシダイとの距離を一五m以上距離を開いてからだった。
(く……そ………)
 シダイの攻撃が自分の身体をかすめることは、今始まったことではない。既に胸を含め数カ所が邪剣の光で焼かれている。それらに比べ、今が特別深手というわけでもない。
 だがこのまま攻め手もないまま戦いを続ければ、やがて消耗し草薙の剣の直撃を受けて致命傷だろう。いわゆるジリ貧である。
(思い出せ――――)
 もう一人の自分の記憶を掘り起こす。
 重さを無視しても、戦いにまるで向かない形状の剣を、昔自分はどう使っていた?
(思い出せ)
 もうそこまで出かかっている。この剣は、ただ剣として振り回す以外の用途がある。
(長すぎるんだ、もう少し短くなれ!!!!)
 その時、神剣が揺らいだ。
(思い出した!!!)
 この神剣の、本当の使い方を。
「食らえ!!!」
 シダイと十m以上離れたまま、叫ぶ。
「何……!!!!」
 敵意を感じるままに飛びのくと、さっきまでシダイがいた空間を、いきなり無の空間から出現した雷の刃が斬り裂く。
 飛びのいたシダイへ、次の雷の刃が襲う。
 エネルギーの塊であるシダイを、二本目の遠隔操作された神剣は確かに捉えた。
(この剣はこう使うんだ!!!)
 この剣の刃は使用者の意思を受けて雷となり、離れた空間に出現することができるのだ。二mを超える刀身を三分割し、うち二つを飛ばせば手元に残る長さは七十p。剣として使うに適当な長さとなるのである。
「もう一度……」
 再び、二m超に戻った神剣に意識を集める。
(前と右後ろから一本づつ―――)
 その意思通り、何もない空間から突如神剣の一部が雷となって出現し、シダイを襲う。
 そして、自身も地面を蹴る。
 雷と化した神剣をうけてもかわしても、動きはある程度制約できる。それで十分。
 神剣と邪剣が激突する。
「ぬう!!!」
 先に二本の刃の処理を強いられていたシダイは、その攻撃を完全に受け止めきれない。
 更にシダイを睨みつつ、がら空きになった腹へ右足を叩きこむ。これまで右手に込めていたように、右足にも力を込めて。
 右足が、シダイに吸い込まれる。
 シダイは逃げようとしない。
(おかしい)
 そう思って、足の力の方向を変える。右足を突き刺すはずだった胴を逆に踏み台にして、シダイとの距離をとろうする。
「っ!!!」
 右足がシダイと触れた瞬間、スニーカー越しに右足を痺れが走った。
「そう、だったな」
 シダイを踏み台にして飛んだ先で、呟く。
 目の前のあれは、人の形をしているが、人ではない。様々な負の力の塊だ。
 今は直前で引いたから、「頭突き」はむこうも反応できなかったから、被害は微々たる程度で済んだ。しかし、素手あるいはそれに近い状態でシダイに触れるという行動は、あまり誉められたものではない。
 それがわかっているから、シダイは鹿島の攻撃を受けようとした。多少のダメージと引き換えに鹿島の脚を焼いて、機動力を奪おうとしたのだ。
「攻撃は神剣のみ、と」
 呟いてから、いまいましげなシダイを睨む。
(もう一度―――)
 鹿島の意思を神剣は忠実に実行し、シダイの背後と左に出現する。
 そして、まず背後から攻撃。
 それがかわされたところへ、左から二本目。
(それをさばいた所へ―――)
 つけこむため、鹿島が地面を蹴る。
「な!!!!!!!」
 シダイは、逃げなかった。左からの攻撃を腕で受け止めた。
「殺すことが恐ろしいか、小僧!!!!」
 勝ち誇った嘲笑と共に、殺意が自分を貫く。
 当たり前だが、鹿島はこれまで人を殺す気で斬撃を放ったことがない。
 人を剣で斬殺する場合、頭を砕くなら股下まで両断する気で振り下ろし、胸を貫くなら柄が胸に届く勢いで突き出さねばならない。だが武器を使った戦いといえば、学校の授業で剣道をやった程度の鹿島には、それがわからない。頭はわかったつもりでも、実動作に反映させられない。それはずば抜けた才能か、実際に手を血に染めてのみ可能になる。 
 一方を八坂は持っているが、鹿島にはどちらもない。そんな斬撃は恐るるに足らない。しばらく戦って、シダイはそう悟っていた。それでも積極的に攻めなかったのは、鹿島の動きを警戒してだ。一度気がつかれれば、相手も備えるだろう。
 だから鹿島が積極的に攻めてくるのを待った。逃げられない一瞬を捕らえるために。
(止まれ!!!!!)
 だが、神剣に意識を回したことで、とっさの反応速度が遅い。
 目の前で、シダイが草薙の剣を振りかぶる。
(逃げろ!!!!!)
 バックステップより速く草薙の剣が振りおろされ、死が、ゆっくりと迫る。
(稲穂――――)
 これが最後の思いになってしまうのか。
「!!!!!!!」
 余裕と勝利の嘲笑を浮かべていたシダイが、一瞬のうちに凍りつく。
「ぐうあっ!!!!!」
 右肩から左脇腹に抜け、自分を両断するはずだった一撃は、その遅れが原因で、鹿島の表面を焼くだけに留まった。
「っ………」
 シダイを見すえながら、内部から破壊しようとする負の力を追い出そうとする。
 今攻めれば一気に追いつめることもできるだろうに、鹿島の存在そのものを忘れた風情で、鹿島からだと右方向を睨んでいる。
(何が……?)
 その方向にあるのか、鹿島も今分かった。
 距離感を無視した光の柱が立ち上がり、荒れ狂う空気が頬を叩く。
 少し離れた所で、膨大な力が炸裂した。
 スサノオを自分で制御した八坂の力だ。
「何故、人間にそこまでの力がある!!!」
「まあ、あいつは八坂だし」
 シダイに解説するでもなく、自然にぼやく。
 八坂なら、スサノオの力とて十分か一五分もあれば使いこなしてしまうだろう。
 理由はただ一つ、それが八坂だからだ。
 飛び抜けた才能をして「怪物」というなら、八坂こそ「怪物of 怪物s」であって、ライジュウなどちょっと珍しいペット程度の存在である。
「信じられん………」
 その語尾に力の炸裂が続く。殺意の塊と化した力と怒りが、誰かを嬲り殺しにしていく。
 空気が、断末魔となってゆっくり揺れた。
 直後至近に光、そして八坂。
「鹿島……」
 鹿島の姿を確認してから、一瞬その傷つきように、彼は目を見開く。
「……おわらなかったみたいだね」
「伝説の化け物は伊達じゃなかったよ」
「スサノオ………」
「かわろうか?」
「こいつとは俺が決着をつけたいんだ」
「……危ないと思ったらすぐ入るよ」
「すまないな」
「スサノオォォォォォォォ!!!!!!」
「うるさいな、さっきからスサノオスサノオって、新しいおまじないか何かかい?」
「とぼけるな!!!!」
 もう一度絶叫し、八坂に襲いかかる。
「ぬうおおおおおお!!!!!」
 飛びかかり、力任せに振り下ろされる草薙の剣を、八坂は十握剣で受け止める。
 そして、着地したシダイの腹に右足を蹴りこんで突き刺そうとする。
「あぶ……」
 鹿島が言い切るより早く八坂の足はシダイの腹に突き刺さり、吹き飛ばす。
「え?」
 さらに吹き飛ばされたシダイが立ち直るよりも速く間を詰め、神剣の一撃。
 八坂を中心に半径十mほどが抉り取られた。その超小型クレーターから十五m離れたところに、形相のシダイがいる。
「力を完全に取り戻しているのなら丁度いい。あのときの屈辱、今返させてもらうぞ!!」
 神代からの怒りと屈辱は中々の迫力があった。
「話を聞いてなかったのかい? 君の相手をするのは鹿島だ。僕じゃない」
(反撃しといて言う台詞じゃないだろ……)
 鹿島が思う間にも、話は進む。
「出来損ないなど相手にならぬ!!!」
「だったら、その出来損ないくらい、簡単に殺ってみせろよ。それでなきゃ、八坂とやっても一分と続きはしないぜ」
「そうだね、鹿島に勝てたらお望みどおり相手になるよ」
 そこで、一息。
「ただ先に言っておくと君の運命は二つに一つ。僕と鹿島に封印されるか僕に殺されるか、どちらかだよ」
「この国の地脈と一体化した我を殺したら、この国が消し飛ぶかもしれんぞ?」
「そのときの僕に、そんな思考能力があると思うかい? 僕は今怒っているんだよ」
 何一つ変わらぬ風情で、八坂は断言する。
 彼は、今言葉通り怒りを感じていた。何よりも大切な友を害しかけた敵にかける慈悲などカケラも残していない。少し怪我した鹿島を見たときすら、八坂は激発しそうになったのだ。万一のときは当然割って入るつもりだが、それでも鹿島が重傷を負わされるのを目の当たりにして、まともな思考能力を残していられるか自信はない。
「殺すのはやめてくれ、稲穂が巻きこまれる」
「心配する順序が逆だよ。鹿島が勝てばそれで問題ないんだからね」
「ああ、そうだったな」
 鹿島はシダイのほうを向き直り、構える。
「はじめようぜ」
 シダイも半身片手で草薙の剣を構える。
 空気が、凍りつく。
「いくぞ!!!!!!!」
(さっきの二人、見えなかったわけじゃない!!!!!)
 予想よりもなお速い速度でシダイに迫りながら、鹿島は考える。さっきの攻防、殺気に圧倒されてしまったが、動き自体は目で追えないほどではなかった。
 紛れもない神剣と邪剣が激突。直後、力ずくで押すシダイの草薙の剣に、鹿島は吹き飛ばされる。
「終わりだ!!!!!」
「終わるか!!!!!」
 頭めがけて振りぬかれる草薙の剣を、かがんでかわそうとすると、勢い余って地べたに這いつくばってしまいそうになる。
(もっと意識を集中させろ!!!!!!)
 今の攻撃でも、まだ「誤差」がある。剣が激突したとき、鹿島の感覚では、まだ振り上げる途中だった。まだまだ鹿島の意識と神が持つ力が、一致していないのだ。
(動き自体は、間違いなく俺の方が速い)
 そう確信する。八坂よりシダイより、動き自体は鹿島のほうが速いのだ。
「食らえ!!!!」
 掛け声とともに、意識を神剣に注ぎ込み、刀身だけで二百二十pはある刃の、一m半ほどを三等分し、右、前ろの二箇所からシダイを狙うよう出現させる。
 あわせて感覚の加速が停滞し、鹿島の意識と実際の動きがより一致する。
 そのうちの、前から迫る一本を弾き返して、シダイは鹿島のほうへ進み出る。
「せえっ!!!!!!」
 それを予測して、鹿島は前に出てくるシダイめがけ、刃渡り七十pほどになった布都御魂をなぎ払った。
「くっ!!!!!!」
 草薙の剣を立てて受け止めるが、いかんせん踏ん張りが利かず、今度はシダイが右手へ吹き飛ばされる。
(追え!!!!!)
 自分に命令すると、着地して立ち上がろうとしているシダイの動きが遅くなり、もうシダイを通り越しそうになっている自分に気がついて、大いに慌てた。
(止まれ、行き過ぎだ!!!!!)
 そう思って足を止め今度は大きく振りかぶろうとする。その時、本来の刃渡りを取り戻した布都御魂は、シダイに振り下ろされようとしているところだった。
 しかし、シダイはもう体勢を立て直し、殺意がこもる目でこちらをにらんでいる。
「散れ!!!!!!!!!」
(やばい!!!!!)
 そして、炸裂と閃光。猛烈な負の力が、シダイを中心に半径十m程を破壊する。それを、一五m離れた場所から見た、と十秒ほどしてから鹿島は自覚した。
 間が開き、緊張が緩む。
「出来損ないにしては、よくやったな」
「なに…………?」
「まだ気づいてすらいないか、滑稽なものだ」
「どう――――」
 いうことだ、という言葉をつながらない。膝が崩れ、鹿島の視界は四十pほど下がる。
「こ………れは……………」
「お前は神剣の使い方を思い出して攻めにまわった。その力の負荷に体がとうとう追いつけなくなった。そういうことだ」
 単に逃げ回っていれば、ここまで消耗はしない。敵が殺す気での攻撃を凌ぐという精神的な緊張がより多くの消耗を強いた。
 シダイは八坂のほうを向き直る。そばに鹿島がいることなどまるで意識せず、悠然と。
「スサノオよ、お前もつらかったろうな。ともに戦えば足手まといにしかならぬ友の頼みを聞き、危ないことこの上ない戦いぶりを見守るのはな」
「なん……だと……」
「スサノオ一人で戦えば、我に勝てるやも知れぬ。だが己の動きすら制御できぬ出来損ないと共に戦えば、何かの間違いで共倒れになってしまう恐れもある。スサノオがお前に戦いを任せたのは、そのためだ」
「……そう、なのか…………八坂……?」
「……」
 沈黙という、明確な残酷過ぎる答え。
 無力感と絶望感が、全身を踏みにじる。
 自分は八坂の手助けどころか、いるだけ邪魔な存在でしかなかったのか。
「出来損ないなど殺すにも値せん。お前の番だ。覚悟はいいな、スサノオ?」
「君こそ覚悟はできているだろうね?」
 何より事実を指摘されたことに対する怒りが、八坂の声に怒気を帯びさせる。
 一歩歩み出て、二歩目はかすか過ぎる声によって遮られた。
「まって、くれ…………八坂…………」
「鹿島………」
「…もう一度だけ、やらせてくれ……」
 もういいんだ、後は僕がやる。鹿島はゆっくり見ていてくれればいい。そう用意していた言葉は、鹿島の目に封じ込まれる。
「頼む、やらせてくれ……」
「……わかったよ」
 そういって、八坂はさがった。
「死にたいというなら殺してやろう。無残に死ぬがいい。愚かな人間としてな」
 言ってから、シダイは地面を蹴って迫る。
 迎撃のため意識を集中させると、さらなる疲労感が鹿島を襲う。反応しようとしても追いつかない自分の体の感覚が、疲労感をいよいよ加速させる。
 シダイが片手で草薙の剣を振りかぶる。
(さがれ!!!!)
 思ったとき、まだ草薙の剣は振り下ろされようとしたところだが、もう鹿島はシダイから遠くはなれた場所にいる。その後、さっきまでいた空間を草薙の剣が通過して、風圧が鹿島をなぶる。
(反撃――――) 
 そう考えたとき、草薙の剣は、振りぬかれたときと同じ方向へ跳ね上がろうとしていた。
(だめだ!!!!!)
 草薙の剣から打ち出される負の波動を、また十m以上離れた場所から見送る。
「くっ…………」
 これだけでもさらなる疲労が全身を襲い、片膝をついてしまう。だが、シダイの攻勢は終わらない。さらに距離を詰めてくる。
「出来損ないが!!!!!」
 言葉自体に何かしらの拘束力でもありそうな宣告と共に、負の力を帯びて青白い光を帯びた、邪剣はなぎ払われる。
 胸の辺りをかすめる痛みを、移動先でまた片膝をつき、追い出そうとする。
「くそっ…………」
 消耗を少しでも抑えるのによけることと防ぐこと、どちらがより効果的か鹿島にはわからない。だが唯一シダイに勝っている点、「動きの速さ」を殺さないためには、とにかく動き続けるしかないのだ。
(どうする…………)
 元々消耗していた体力は、今の攻防もとい一方的防防でさらに目減りしてしまった。
(俺の意識では、ついていけない)
 自分の意識はあるだけ邪魔なのだ。非力な人間である非力な自分など、まさに足かせでしかない。いっそ自分の中にいるもう一人の、この力の本当の持ち主に、戦いのすべてを任せてしまえば――――
 再び襲いかかってくるシダイを、過剰な速さでかわしながら考える。
(そうだ、いっそ全て任せてしまえば)
 そう思い、自分の意識を閉じる。
 急速に眠気のような感覚が全身を支配し、全身から感覚が失われていく。
<だめだ!!!!!!>
 頭の中で、別の声がした。
(え――――――)
 全身の管制権が一瞬で鹿島に戻る。そして、目の前でシダイが自分の胴を真っ二つにするため、負の光帯びる草薙の剣をうち下ろそうとしているのを自覚する。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 絶叫しながら、鹿島は飛びのく。
「っ…………」
 動きにいよいよ体がおいつかなくなり膝をつく。今度は腹のあたりが焦がされた。
<君が彼の助けを拒んだのは、私に力を借りるためか!? 彼に劣っていないと証明するために、私に頼るのか!!??>
 また中から声が響く。自分の声が、自分のものではありえない口調と威厳で叱咤する。
(あなたは―――――)
 確認するまでもない。かつての、もう一人の自分。高天原の剣神タケミカヅチ。
<私に戦いを任せたいのならそれもいい。だが、その前に自分の力のなさを、無力な自分を認めるのだ>
(いやだ!!!!!)
 稲穂は俺が守る。奴は俺が倒す。自分自身に決着をつけるために、そう誓ったのだ。
<重要なのは彼女を守ることだ。誰がそれを為すかなど、大したことではないだろう>
(黙れ!!!)
 自分を信じ、許してくれたひとのため、自分がやらなければならないことなのだ。結果さえよければいいという問題ではない。
<すぐそばにより大きな力を持った友がいる。なのになぜ君が自ら戦わなければならない!? 君が傷つくことを、彼や彼女が望んでいると思っているのか!? 友に劣らぬことを証明するため、友以外の他人である私の力に頼ろうというのか!?>
(俺がやらなければならないんだ!!!!)
 タケミカヅチに指摘された、自分の中の弱さを消し去るために心の中で絶叫する。
<そうだろうな……………>
 何か言い返されると覚悟していった言葉に彼は笑った。目で確認できるはずもないそれが、見事な笑いだろうと鹿島は確信した。
<そういう聞かん坊でまっすぐなところは、スサノオ様と通じるところがある。彼女は君の、そういうところに惹かれたのだろう>
 つらい過去を完全に乗り越えたものだけが出し得る、力強い口調。
<自分の力で勝ちたいなら、考えたまえ。君に友のような力はない。その君が、彼と同じ方法で奴を倒すことは不可能だ。だが君には君にしかない武器を持っている。それにさえ気がつけば、十分勝機ある>
(それが具体的に何かも教えてほしいな)
<自分の力で勝ちたいのだろう? ならば、自分で考えたまえ>
 いう声が、少し笑っている。
<古今東西神のお告げとは、どうとでも取れる曖昧なものだよ。それに比べれば、私の言葉は助言といっていいほど明確だ>
(なるほど)
<がんばりたまえ、君を待つ人のために>
 そういって、自らタケミカヅチは鹿島の意識に潜りこむ。その気になれば、鹿島の意識を圧することなどたやすいだろうに、あえて全てを鹿島に任せて意識を眠らせる。
 シダイの武器は負の力の塊とも言える草薙の剣。鹿島ごとタケミカヅチまで破壊しうる力を持っている。自らにも死の危険が十分ある状況で、鹿島に全てを任せたのだ。
(……どうしてこう俺の周りは、凄い奴ばかりなんだ?)
 タケミカヅチといい八坂といい、鹿島が逆立ちしたって勝てるとは思えない。
「小ざかしい、さっさと死ね!!!」
 意識を現実へ戻した直後、シダイが咆哮し、増幅させられた負のエネルギーが方向を問わず、あたり一面をなぎ払う。
 有効範囲からは離脱できたものの、消耗と爆風の余波に足を払われ、しばらく後転する。
 立ち上がった後、さらにバックステップすると、距離は二十m以上開いていた。
「……」
「あれだけの大口をたたいておきながら、逃げ回るだけか?」
 弾む息を何とか抑えつけ、自分の身体状況を何とか確認する。もう一人の自分と意識の中で会話をしている間にもシダイとの戦いは続いており、さばききれずに食らった傷が、二〜三個増えている。それがさらに痛みを増幅させるのだが、目下そんなことはさして重要なことではなくなっていた。
(「俺にあって八坂にないもの」……)
 消耗を抑えるために、声にはせず考える。
(筋力、体力、センス、実戦経験、勘、集中力、反射神経、速さ……)
 戦いに必要そうな能力を、列挙してみる。
(魔力、精神、賢さ、知性、運……)
 ゲームのパラメータみたいなものまで出てきてしまったが、そんな項目があったとしても、自分が八坂に勝っているとは思えない。それでも勝っている部分をあげるなら――
(この速さ、だな)
 結論づけてみるが、どうも納得できない。 「速さ」なら、さっきから使っている。だが今鹿島はシダイを倒すどころか、逆に追い詰められているではないか。
(速さじゃない。いや、それだけじゃない)
 じゃあ何がそうなのか、それがわからない。
 全てがある八坂、何一つない自分。嫉妬することすら馬鹿らしい事実。
 こうして側に来ると、なおはっきりわかる。その強さを理解させられてしまう。
 八坂は神剣を、スサノオの力を完全に支配している。中段蹴りでシダイを吹き飛ばせたのもそのためだ。スサノオの力を足の周辺に張り巡らせ、シダイの負の力による防御を突破できるのだ。
 それに対して、神剣も動きも、タケミカヅチがせっかく貸してくれているのに、まともに使いこなすことすらできない自分。
(奴が俺を出来損ないっていうのも当然か。恐いのはタケミカヅチと神剣で俺じゃない)
 その事実が、鹿島を突き抜けた。
(そうか、そういうことか)
 確かに、それは鹿島にしかない。八坂には使えない、鹿島にしか使用できない手が一つだけある。
(……「必ず勝てる」とは言わなかったよな。「勝機がある」っていっただけで)
 頭の中で急速に策が組みあがっていく。
 バクチなのは覚悟の上だ。しかし、「鹿島が」勝つとしたら、これしかないだろう。
 すべきことを決め、あらためて構える。
「ようやく観念したか」
「ああ、ようやく腹が固まった」
「では、死ね」
「やってみろ!!!!!!」
 布都御魂をかまえて、シダイに挑む。
「くっ…………」
 強大な力を持つ二つの剣が激突する余波だけで、鹿島の体力は奪われていく。だが、この程度でへこたれるわけにもいかない。
「いくぞ!!!!!!」
 意識を神剣と動きに集中させる。
 まず三分割し、うち二つはシダイの周辺に飛ばす。シダイがその二本をさばいている間に、鹿島自身は残る三分の一を携え、シダイの後方へ移動する。
「食らえ!!!!!」
 そのまま高速で突撃。剣は突き出すか、横に倒したままでいい。この速度なら剣はただ出しておくだけで十分な殺傷力がある。余計な動作を増やす必要はない。
「何を考えたかと思えば……」
 それだけ言い、シダイは鹿島の連続突撃を容易くかわしている。それはそうだと鹿島も思う。どれだけ速くても、リズムが一定なのだ。かわすことはそう難しくない。
 だがリズムが一定だとはいえ、自分の視界外から出現する雷の刃もシダイは難なく、交わし続けている。今もさっきも。
(やっぱりそうか)
 そのシダイを見て、鹿島は己の策の成算が幾らか上がったことを確認する。
「まだまだっ!!!!」
 鹿島は動き続ける。
 余りの高速に残像が発生し、鹿島の血も地面に落ちることを許されず、巻き上げられ霧となって、シダイの周辺を漂う。赤い靄かかる草原。幻想的この上ない空間が、鹿島によって作り出される。
(くそっ……!!!!!)
 連続高速移動が、鹿島にさらなる消耗を強いる。視界がかすみ、予定していた場所で方向転換できなくなることが増える。
 消耗以上に、飛ばす剣の長さを少しづつ調整して短くしていく作業に消耗する。
(そろそろ―――――)
 そう思いながら、方向転換する全身に感覚は乏しい。自分の血で真っ赤になっている。
「食らえ!!!!!!!」
 何十度目かの突撃。
「本当にそれだけか、ならばもう飽きた」
 本当にゆっくりな言葉を、聞いた。
「死ね」
 シダイが草薙の剣をゆっくり振りかぶる。
 いかに速くてもリズムが一定なのだ。タイミングを見切ることは造作もない。
 草薙の剣が、自分の顔面に振り下ろされる。
 ゆっくりと、明確な殺意をこめて、草薙の剣という名の死が自分に迫る。
「うぐあっっっっっ!!!!!」
 ギリギリで顔面への直撃は避けたものの、邪剣の帯びる光の帯が右肩に侵食し、そのまま全身を破壊する。
(……奴は、完全に慣れた)
 攻撃を受けながらも、速度は落とさない。
 シダイのわきをすり抜け、方向転換。
「いくぞおおおおおおっっ!!!!!!」
 状況は整った。一度きりの勝負。
「行けえっ!!!!」
 前と右に雷の刃を飛ばし、シダイを狙わせる。その間に自分はシダイの背面に回り、その場所から三本目の剣を飛ばす。
 シダイの背中手前に雷の刃が実体化し、その背中を貫こうとする間に、その三本目を難なく背を見せたままかわしたシダイが、移動した先に、四本目を柄ごと投げる。
(のるかそるか、いくぞ!!!!)
 柄ごと投げた後、鹿島自身もその柄を追いかける形でシダイに突っ込む。
 五撃目となる自分自身は、丸腰のまま。
 やけにゆっくりと、柄つきの四本目が、シダイに向かって飛んでいる。
 この策に引っかかれば、鹿島の勝ち。読まれていたら鹿島の負けだ。多分死ぬ。
 柄と自分の距離は約三mを維持したまま、シダイの背中めがけて飛ぶ柄を追いかける。
 次分が柄を投げてからそれが届くまでの数秒に、戦いの成否が全て凝縮される。
 柄とシダイの距離は約五m。
 三本目の攻撃をかわしたシダイから、サイドステップの硬直がとれる。
 距離が縮まる。シダイと柄の距離は約四m。
 まだ、シダイの背中は微動だにしない。
 更に、距離が縮まる。柄とシダイの距離は残り約三m。
 微かに、シダイの背中が動いた。
(頼む、かかってくれ!!!!!)
 もう止まれない。行くしかない。
 鹿島はそのまま突っ込む。
 シダイと柄の距離は残り二m。
 草薙の剣を持つシダイの右肩が動く。
 この右肩がそのまま振りかえって剣をなぎ払ってくれれば鹿島の勝ち。ただサイドステップするだけだったら鹿島の死だ。
(頼む!!!!)
「終わりだ!!!!!」
 願いが通じた。シダイは勝利の宣告と共に、振り返りざま草薙の剣を振り払って、背中に向かって飛んできた柄を叩き落した。
「なに!!!!????」
 唖然とするシダイと鹿島の距離は一m。
 剣をなぎ払い、隙だらけになったシダイのその顔面へ、右拳を叩きこむ。
 自分の中に残された全ての力をこめて。
「うおおおおおおおおお!!!!!」
 咆哮と共に、己の全てを叩きつける。
「ぬうっっっ!!!!!!」
 刹那の間を置いて、シダイが負の力を集中させはじめた。直接自分の頭部に触れている右拳を経由させて鹿島の全身に負の力を流し込み、焼こうとしている。
 自分の中に何かが流れ込んでくる。だが、痛がっている暇はない。逆にそれすら燃料として鹿島は自分の全てを突き動かす。
「ぜあぁぁぁぁぁっっ!!!!!!」
 神剣に比べれば微々たるものだが、拳からシダイと正対する正の力を注ぎ込む。
「うおあああああああああああっ!!!!」
 右拳が振りぬかれ、シダイは転倒する。
 鹿島は仰向けに倒れたから一瞬目を離し、光る右拳を見据えて、
(集え!!!!!!)
 命じて、飛ばした神剣を右手に集める。
 そのままシダイに飛びかかり、胸へ。 
 突き刺す。渾身の力で。
 うぐおおおおおおおおおおお!!!!!
 すでに声ではなく、全てを漂白し、夜空を震わせるシダイの咆哮。
(一点だけを貫くんだ!!)
 抵抗を間近に受け、吹き飛ばされそうになりながら、ただ念ずる。シダイを殺すことなく、貫ききらなければならない。
 ぼおおおおおおおお!!!!!! 
「つうっ……」
 左手が、右肩が、もう感覚を失っている。 
 だが、まだ休むわけにはいかない。まだこいつを倒してはいないのだ。
「これで終わりだ!!!!!!」
 突き抜ける。
 ―――――!!!!
 白の洪水。
 光を光と思わせない波が、拡散する。
 無音を、鹿島の疲れきった声が破った。
「悪かったな、柄より存在感薄くてよ……」
 言ってから、自分が数歩後ろへ後ずさった後、へたり込んでいたことに気がつく。
 あお向けに倒れるシダイを布都御魂が貫いている。なのに血が流れていない。人の形をしていても、やはり人でない証拠だ。
「こんな出来損ないに……」
 弱弱しいがはっきりと意識を感じさせるシダイのうめきからも、鹿島はきちんとシダイを「倒す」ことに成功したことがわかる。
 あとは、封印するだけだ。
「許さんぞぉぉぉ!!!!!」 
 あお向けのまま神剣によって地面に縫い付けられた姿勢でわめく。
「貴様だけは殺す!!!!」
 叫びと共に力が収束し、強烈な殺意が鹿島に叩きつけられる。
「消えろぉっ!!!!!!」
 何とか逃げようとするものの、事を終えた安堵感と消耗がそれをさせない。
(ここまでやっておいてーーーー)
「が………!!」
 もう一度、びくりとのけぞってシダイはまた動かなくなる。突如シダイの上に八坂が出現し、十柄剣で首の付け根を貫いた。
「無駄な抵抗はやめておきなよ。せいぜいおとなしく封印されたらどうだい? 散り際を間違えた悪役ほど惨めな存在もないよ」
 淡白な言葉の後、鹿島へ向き直る。
「お疲れ様、鹿島。立てるかい?」
「まあ、なんとかな」
 全身の力を振り絞って鹿島は立ち上がる。全身は今も痛むが、勝った、終わったという達成感が痛みや疲労よりも勝っていた。
「なかなかいい戦法だったね」
「俺にはこれくらいしかなかったからな」
 「八坂になくて鹿島にあるもの」、それは「鹿島の弱さ」だった。
 全てを持つ八坂に、何もない鹿島がなれるはずがない。同じ事をできるはずがない。
 だから鹿島は自分でできることをやった。 
 まず高速で動き回り、神剣>神剣>自身の順で攻撃を繰り返しパターンに慣れさせる。
 その一方で、一度目に飛ばす神剣と二度目に飛ばす神剣の長さを少しづつ短くしていき、はじめ三分の一だった柄と一体だった部分が、最終的には全体の二分の一になるようにする。
 そして最後の攻撃では神剣を四分割する。はじめに各四分の一を今までと同じように二つ飛ばした後、三度目にも残り半分、全体の四分の一を飛ばす。残った最後の四分の一は柄ごと投げる。こうすることで今までの三段攻撃は最後に「四段攻撃」を演出するためだったと、あえて悟らせる。
「悟らせること自体は簡単さ。こいつは人間みたいな形をしてるけど、人間じゃないんだ。俺の手にある剣がだんだん短くなることなんて、とっくの昔に気がついてただろうよ」
 だからこそ、リズムが単調とはいえ背後から襲う雷の刃を簡単にかわせた。ほとんど勝利を決定的にしていた一瞬八坂に驚いて攻撃の手を鈍らせてしまったのも、シダイの主感覚が力の大きさを感知するようなものだからだろう。
 相手の狙いが読めたと思えば、かわすだけでなく止めを刺そうと攻撃してくる。実際勝利を確信してシダイから放たれた攻撃は柄を捉えた。その直後鹿島自身が五撃目として、真正面から素手で攻撃。
 鹿島は神剣を捨ててしまったら、エネルギー体であるシダイに攻撃自体できない。しかしシダイが攻撃の存在を意識していない瞬間なら抵抗は少なくなる。それはあの「頭突」きからわかっていた。
 だから、唯一の攻撃手段を捨ててでも決定的な隙を作り出そうとした。素手の攻撃が跳ね返されればそこまででだが、そこまでやらなければそもそも攻撃がとどかない。
 そしてシダイが柄に唖然とした一瞬、横から攻撃。転倒させて神剣で貫く。
 鹿島は賭けに勝った。まともにやれば正に万に一つの勝機を、今に持ってきたのだ。
 神剣がなければ攻撃できないほどの無力さ。タケミカヅチの力をまともに制御できないという現実。それこそが、「鹿島にしかないもの」の正体だった。
 八坂に同じ手は使えない。自身の存在感が巨大な八坂は、神剣を手放した「誤差」を一瞬で気付かれる。とことん無力な鹿島だからこそ、気付かれなかった。
 鹿島が同じリズムで動いていたのは、単に慣れさせるためだけではない。同じ様なリズムとタイミングでしか動けなかったのだ。あらかじめ動きを決めてなければ、意識がついていけなかった。もしシダイに五撃目まで読まれていれば、鹿島はシダイの迎撃に突っ込むことになっていた。
 その意味でも、この戦法はバクチだった。
 そんな鹿島自身にも成功するか怪しい作戦だったからこそ、シダイの裏をつけた。
 「特徴」と認識できたとき、「短所」「欠点」「弱点」などは「武器」に変わる。
「お前は、読めてたのか?」
「鹿島の立場で考えたら、相手に読ませてその隙をつくくらいしかないと思ったよ」
「……ま、いいけどな」
 八坂に読まれたって構わない。自分たちが敵味方に分かれることなどあるはずがないし、この先八坂級の敵と真正面から戦おうとするほど、鹿島は馬鹿ではない。
「おのれ、おのれぇぇぇぇっっっ!!!」
 二本の神剣を腹と首に突き刺され、動くこともかなわなくなった状態のまま、なお叫ぶ。
 その声が二人の意識を惹きつけた。二人は歩み近づいて見下ろす。
「次復活したときにかけてくれ」
「そうだね、そうしてもらおうか」
 傍らで、傷一つついていない八坂がつなぐ。
「今我を殺さなかったこと、いつか必ずや後悔させてやるぞ!!!!!!」
「惜しいなあ。そう言わなければ、いつか復讐を果たす日もあったかも知れないけどね」
「ああ、その手の言葉を口にした奴は、二度と復活できないっていうルールがあるんだ。仮に復活できても、別の奴の手下になってて、簡単に倒されるっていう黄金律がな」
「その黄金律を発動させてしまうセリフで有名なのは、{覚えてやがれ}あたりかな」
「まあ、そうだな」
「お……のれ、おのれぇっ……!」
 わめくシダイの声に力はない。
「なんにせよ、僕たちに君は殺せないんだよ。この国が消し飛んでしまうからね。それじゃ、さっさとおわらせようか」
「そうだな」
 彼らは自分の神剣の柄に両手を乗せる。
「止めろぉ!」
 出血しないまま叫ぶシダイは完全に無視。二人はため息に近いかすかな深呼吸の後、同じくかすかだけ目を見開く。
「我は我が統べし雷に命ず、この場に集いて悪しき力を封じよ!!!!!!」
「我は我が統べる海洋に命ず、この悪しき存在をこの地に封じよ!!!!!!」
 二人の、聞くものを無条件に服従させる威厳に満ちた声が夜空に響き渡る。
 二人と、特に二振りの神剣を中心として、物理的質感をもつほどの光が洪水となって生まれ、封印者当人達をもかき消す。
「いつか、いつかぁぁぁぁ!!!!!!!」
「さっさと消えろ!!!!!!!」
 布都御魂が一層光を強める。
「相手が悪かったんだよ」
 十柄剣の放つ光が、更に強まる。
「ぐおおおおおおおおっっっっっ!!!!」
 絶叫と共に、光。
 一瞬後には、閃光があったことすら疑わしいほどの、夜半の山中の光景だけがある。
 シダイはいない。神剣だけが刺さっている。
「終わったな」
「そうだね」
 終わっていなくても、彼らには終わった。
「この封印、どのくらい保つと思う?」
「前より短いことだけはないと思うよ」
「そう、だな」
 満身創痍のスサノオ一人の封印ですら、神代から今まで効果があった。今回は完全に力を取り戻したスサノオ(八坂)に加え、鹿島もおよばずながら封印に加わっている。以前より効果が弱いことはありえない。
 それでも、いつか必ずシダイは復活する。
 だがそのとき鹿島らはもういない。だから、鹿島らには終わったのだ。この真ならざる偽りの封印で。
(お疲れ様でした)
 何の前ぶれもなく、頭の中を響き渡る言葉。
「はじめまして、姉さん。かな?」
 当然のように、八坂が言う。
(私は皆様にアマテラスオオカミとよばれているものです。天原さんの中にいるスサノオの姉になります)
「え、じゃあ……」
 疲れも痛みも勝利の達成感も何もかもが消えて、絶望一色に埋め尽くされていく。今高天原の支配者たるアマテラスオオカミの声が届くということは、シダイ復活を察知されてしまったのか?
(ご心配なく。私は弟から転送先の時代と場所を聞き、万一に備えその時空域を監視していたから、先ほど天原さんが力を解放させた時気づくことができたのです。事情を知らないものが察するのはまず不可能でしょう。お二人が手際よく動いて下さったので、高天原としては気がつかずに済みそうです)
「そうですか」
 深く深く鹿島は安堵する。
(このたびは弟が色々ご迷惑をおかけいたしまして、まことに申し訳ありません。私からも深くお詫び申し上げます。至らぬところの多い弟ですが、悪意があっての行動ではありません。どうか広い心でお許し下さいますようお願いいたします)
 暖かさと優しさと威厳が見事に調和した、人に跪かれ、拝まれるのも当然だとごく自然に思える声でここまで下手に出られると、優越感を通り越してむずがゆさを感じてくる−−などというのは鹿島のような凡人の感想らしい。凡人ならざる親友は、相手が神だろうがなんだろうが全く態度を変えない。
「だってさ。いやあ、弟からは想像もつかないできたお姉さんだねえ」
 自分の中のスサノオにいう。残念ながらスサノオが八坂にどう返しているか、鹿島は窺い知る術がない。
(しかしこちらも周りの目がありますので、そう長くお話できません。皆様、どうなさいますか。お望みなら櫛田さんともども、今すぐ高天原へおつれできますが?)
 確認するまでもなく、鹿島が代表で答える。
「せっかくですけどお断りします。その辺は俺達が死んでから好きにやって下さい」
(わかりました。あと、その力ははやいうちに封印したほうがよいでしょう。やはり人の体には大きすぎる力です。よろしければ、今封印してさしあげましょうか?)
 今度は一旦八坂を見、頷くのを確認する。
「やってもらえますか?」
(では体の力を抜いて、楽にして下さい)
 答えが届くと同時に、雲のない夜空から光の柱が刺しこみ、鹿島たちを包み込む。
 光柱が消えたとき、もう神剣と邪剣もない。
(中の二人は眠らせておきました。あと、高原さんの傷も治させてもらいました)
「どうも………」
 あれだけの傷が、もう痕すらない。
(彼らが眠ったことで、櫛田さんの結界も解除されたはずです。近くまでお送りします)
「いえ、この山の麓までで結構です」
 血のつながらない他人へ、八坂が言う。
(そうですか。わかりました)
「え、おい………」
 うろたえる間にも、話は進む。
(では、麓まで)
 そして、今度は二人を包み込む光。
(お幸せに………)
 暖かく慈愛に満ちた声が、そう祝福した。 


エピローグ

「なんだか、妙に清々しく見えるなあ」
 八坂が間の抜けた風情で言う。
 昼過ぎになって、ようやく鹿島たちは自分たちの町へ帰ってきた。
 アマテラスオオカミの力で麓まで連れて行かれたのは午前二時半過ぎ、適当なところで時間をつぶして始発に乗ってくれば、七時前に帰ってこれるはずだった。
 しかし、体は癒されても鹿島は服が血まみで、早朝とはいえ街中を歩き回り、電車に乗っていいような外見ではなかった。人目のない麓で時間をつぶし、八坂が買ってきた服に着替え、ようやくご到着である。
「確かにな、何か妙に清々しいぞ」
 彼らの戦いなど知りもしない平凡な日常を、達成感がこの上なく清々しく感じさせる。
「じゃ、鹿島はちょっとここで待っててよ」
 笑うことは多い八坂だが、今は鹿島や稲穂もあまり見ることのない表情をしている。一八歳ばなれした物腰と落ち着きを持つはずのこの男が、十歳も年齢退行したかのような、いたずらっぽい目だ。
「……ずっと、気になってたことがあるんだ」
「なんだい、妙な目して?」
「どうして家まで連れてってくれるのを断ったんだ? そのまま帰ればよかっただろ?」
「血塗れをどう説明するつもりだい?」
「服が変わっている以上同じだろ」
「血塗れでなければ、どうとでも言えるよ」
「……さっき、お前が買ってきてくれた着替えの中に、レシートが入ってたんだ」
「あ、そう」
「一つ気になる項目がある。{テレホンカード八枚 四千二百円}っていう部分が個人的に物凄くな」
「あれ、そうだっけ?」
「……何企んでるんだ、八坂?」
「たまたま切れてたから、買っただけだよ」
「何で八枚もいるんだよ……」
「それは僕の勝手さ。じゃあ、僕は稲穂ちゃんに眠ってもらってくるから。鹿島はいつものところで待っててよ」
「おい、八坂………」
 制止も聞かず、八坂は悠然と歩いていく。
 一方鹿島は鹿島で、走って追えば十分追いつくにもかかわらず、そのまま見送る。
「やっぱり、姉弟だな」
 八坂が、家の近くではなく麓といったとき、あの天界最高貴神は、一瞬確かに笑った。八坂の考えていることがはっきりとわかって、それを止めなかったのだ。
「呪いで眠らされたお姫様って、どうやって起きるか知ってる?」
 結界をかける前、稲穂とかわした約束。
 そしてテレホンカード八枚と、真夜中に稲穂の前に帰ってきては都合の悪い理由……
「……見物客でも集める気か?」
 多分そうだろう。テレホンカード八枚を使い切るほどの人間に連絡しているだろう。「面白い見世物がある」とでも言って。
 しかも、刃は八坂に輪をかけてそういう遊びが大好きなので、今ごろ突貫作業で看板やら何やら作っているのだろう。
「やれやれ」
 勝利の爽快感まで抜け落ちていく。
「ま、いいか」
 満更でもない口調でいいながら、鹿島は八坂が言った待てといわれた場所、三人でたまに行くゲームセンターへ歩きだした。
 
                 終わり

 

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